きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

持たないから、持つへ。コロナ禍の変化

私は、とにかく持たないことを美学としてきた。

持たないことは、管理が行き届くということに繋がる。

私のように管理能力が低いくせに、管理すべき事項がたくさんある人間はとにかく最低限しか持たないことが生活を楽にする。

 

 

そして我が家で一番高額なものは多分フリースペースだ。

余白こそ贅沢の極みだとおもう。

 

 

 

なんだけど。

コロナ禍の社会は今までと変わった。

 

今まで簡単にいつでも手に入ったものが入りにくくなる体験をした。

外で楽しんでいたことが外出できなくなり体験できなくなったことがある。

 

頑なに物を持ちたくなかった私が去年から方針を変えた。

今持ちたいものは持とう❤️

 

家電にも寿命がある。

食器は割れる。

安心できるなら消耗品も少し多めに。

 

買いに買った❗

一年分の貯金を全部消費に回した。

 

今は非常事態で、おうちにどれだけ快適に籠れるかがストレスを下げる。

 

長い人生のなかで、こんな時があっても良いだろう。

コロナ禍の先にどんな未来があるかわからないが、確実に二年前と私は変わった。

 

 

びっくりしたのは。

私の半袖の服が

これと、ワンピース三枚しかなかった❗


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そういえば昨年外にでないから私は服を買い足さなかった。

捨てた服もあるし、この中の三枚はもう外出には耐えられない。

今年も出掛けない気がするけどちょっと寂しい。

三枚捨てる分を買い足してみた。

 

そんなわけで、

うわー。

ものに溢れたな~😱

と思う我が家は多分、普通の家庭程度だと思う。

でも、それでも我が家は飛躍的に生活が変わった。


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ノンオイルフライヤーも良い仕事をする❤️

 

また、持ちたくない時期が来たら、壊れた家電や皿を買い換えなければ良いし、在庫を減らしたら良い。

 

今は我が家は一番雑然としている

 


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クッションも増やしたしフィットネスバイクまで買った。

ソファーはコロナ禍の少し前にこれもお試し導入した。

ダメになったあと買い換えるかはその時次第だ。

 

自分のなかでルールや信念があるのは大事だが、時にそれを打ち破ることをするのも楽しかったり、新しい発見を生む。

 

 

 

 

 

 

その時にしか出来ないことは優先。例えばの話1

例えばね。

それで入院する羽目になってもしたいことがあるなら教えてね。

なるべくそういうことはやろう‼️

 

 

と。

私は息子に話している

 

からあげくんは小さな頃から諦めて諦めて生きてきたから諦めがいい。

その頃はまだ命に関わることが多すぎたし、幼かったから私や、とんかつくんが決めていた。

 

 

実際、小さいときの方が命に関わることがたくさんあったから我慢させてきた。

 

 

だけど。

これは無理してでも行きたい❗やりたい‼️

は誰にだってある。

特に友達との時間。

 

今はコロナ禍で我慢するしかないけれど。

落ち着いたら例えば、夜同窓会がある

なんて話があれば

学校が遠かったから、絶対会場も遠いけど、ホテルをとってやってでも二次会や三次会まで楽しませてやりたい。

夜中に迎えにいったって良い。

 

からあげくんたちにそういう楽しい時間は普通の若者より格段に少ない。

だから、もし。

それで遊びすぎて体調崩しても。

 

ほら!だから無理するなっていったでしょ?

 

という言葉は絶対使わないようにしようと思う。

 

楽しかった?なら良かったじゃない。

少し休んだらいいよ。

 

といいたい。

 

 

 

病児の親としてそれを言うのはなかなか大変なんだけど。

なるべくそういいたい。

 

 

そしてできるなら、生死をかけるまでの決断はあまりしないでほしい。

 

が、人生に一度くらいはそんな意見もききいれられる親でいたい。

 

 

 

 

学校休ませて旅行。

私はさせるタイプだった。

こちらは、閑散期に旅することで、旅がしやすくなるからだ。

感染対策もだし、激混みの公共交通機関や施設に車イスが混じると危険だし、周りもあからさまに不快な顔をするのだ。

想像できるはずだ。

楽しい旅など望めない。

 

なのに顔を曇らせた担任もまぁ、いた。

想像力ないな。

と思った。

 

 

 

私がこんな風に思うようになったのは学生の頃のゼミの教授の一言からだ。

昔、田舎町に天皇陛下がいらっしゃった。

なんと、私の家の徒歩圏内の近所にだ!

こんな機会はまぁ多分一生に一度だ。

お顔を拝見したいとおもったが、ゼミの時間がまるかぶり。

諦めてゼミにでたのだが、メンバーが一人来ない。

遅れてきた彼に、厳しい教授は理由を聞いた。

天皇さん見に行ってた❗

とあっけらかんと言った彼に。

教授はこれまたあっけらかんと言った。

なら仕方ない。私のゼミは毎週あるがこんな機会はめったにない。

優先度はそちらが高い。

と。

天皇陛下でなくても、大事なことの優先順位が高いと感じること、その時しか体験できないことは大事にしなさいと教授ははなした。

 

それを聞いて私は目から鱗だった。

私の親はガチガチに固いタイプだから学校休んで旅行なんて❗という人だったから、私も実はずっとそうおもっていた。

 

大事なことは何か。

 

こんな時代だからよく考えなければいけないのかもしれない。

本当に大事なものは何か。

どう行動すれば、後悔が一番少ないか。

 

 


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障害児から障がい者へ

からあげくんが二十歳になり、色々な気持ちが少しずつ変わってきている。

 

本当に些細なことなんだけど。

私はからあげくんとここでは書いているが、実生活ではさん付けで育ててきた。

たまに呼び捨てることもあるが😂

そして、手はかけるがなるべく年相応に接しているつもりで、部屋もノックをして許可を得てからドアを開ける。

これからも、大人としてなるべく気をつけて尊厳を大事にしたいと思っている。

 

だからだろうか。

Twitterで、施設にいる障害者の日常生活を呟いた専門家?の人の文にモヤモヤした。

客観的な事実をのべるだけの部分は良いのだ。

なるほど❗そんな生活ね。

と思うのだ。しかし。

 

 

大好きな布団にくるまって寝ている姿、可愛い❤️

大きな目で時々回りを見回しおやすみなさいと言っていますが。

 

 

なんて感じの部分に私は気分が悪くなった。

この文章、たぶんからあげくんが幼いときなら気にもならなかった。

だけど、前置きに大柄な40台の男性だとあるのだ。オムツ着用とも。

 

もちろん、その年代の人に可愛い❤️と言っても通用する場面もあるし、気持ちを害すこともない場面はいくらでもある。

可愛いおじいちゃん。

存在するし、違和感はない。

 

しかし、その文にはなんだかちょっと気分が悪くなったのだ。

その男性を大きな子供、赤ちゃんとして扱っている雰囲気を感じた。

そういう対応が適切なのかもしれない。

しかし、私はなにか嫌だった。

 

 

私は少し息苦しくなった。

これは私だけなんだろうか?

その人の尊厳は知的障がいがある時点で薄れるのか。

少なくとも書き手はその方を自分より劣る存在としてみている気がしてならなかった。

 

こんなことを思う私がひねくれているのかもしれないし。

 

もしかすると、まだまだ障がいが受け入れられていないからそういう未来を見たくない❗

と感じているのかもしれない。

ただ、なんだかもやもやしてたまらない。

 

私は、からあげくんが40さいになった時に赤の他人にからあげくんを赤ちゃん扱いされたら哀しい。

 

 


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唐揚げを揚げよう❗気分を上げよう‼️

からあげくんは、唐揚げ食べるとテンション上がる😊

昼も食べたけど夜も❤️
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からあげくんととんかつくんが

うまかった~👍️

と言ってくれたらなんだか私の気分も上がる⤴️⤴️⤴️

今日はトルコのチーズをはじめて食べた❗


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初めての食べ物もワクワクする☺️

だから時々チャレンジ❗

今回はトルコチーズを5種類くらい買ってみた✨

私とからあげくんはチーズが好きなのだ。

 

 

とんかつくんは今日は昼から帰宅した。

理由。

ゲームのイベント。

ここではぁ!?😤

と思ってはいけない。

 

とんかつくんは、からあげくんに教えるために同じネットゲームをしている。

やり方を教えたり危険がないか確認するためだ。

今日もイベントのためにやり方を指南するために早く帰宅してくれた。

もちろん、とんかつくんも楽しんでるんだけど。

 

私や、とんかつくんは

子供から新しいコンテンツを教えてもらう。

というのは無理で、からあげくんがしてみたい❗と言ったり。

若者がしていること❗

をあんまり興味なくてもとりあえずやって、からあげくんが出来るか、どんなことに気を付けなきゃならないか。

なんてのを実地で試してみている。

からあげくんの世界は狭い

だから、少しでも彼の世界が広がるように、楽しみが増えるように、あれやこれや試してる。

試して教える。

試して教える。

いつまで頑張れるかしら。

 

 

 

ゲームでも、アニメでも、なんでもいい。

からあげくんの一日が楽しい😃🎶で溢れると嬉しい

アニメもからあげくんと同じものをみて会話を共有している。

だから私達夫婦はなかなか忙しい😂


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マスクをしての説明会が終わってから各自の部屋におやつの差し入れ。

レッドキウイのパフェ。

最後に確認したけど、やっぱり。

私はキウイアレルギーになったらしい。

これが人生最後のキウイになると思われます😢

好きなんだけど😢

 

 

 

惣菜御膳

昨日はたくさん懺悔の涙が流れ、

泣くとどっと疲れてHPを持っていかれてしまう私は夕御飯は手抜きしました。

 

家族にタブーな内容で泣いていたわけだから、ひっそり密やかにHPの低さを隠しながらサボるのです。

こんなとき主婦MPを使います。

ネットスーパーでゲットした

素材⬅️惣菜

に器の魔法をかけて


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一人あたり500円ちょいのご馳走に❤️

 

温かい汁物くらいつければ良かったな。

と今日は思うんですが、昨日はやはり少し疲れていたみたいで思い付きませんでした。

残念。

 

 

そして、昨日はとんかつくんが、からあげくんに母の日を思い出してももらえなかった!

ここは父からの一言アドバイスが大事なんじゃないの?と日曜日にぼやいた私のために、普段出入りを最低限にしているコンビニでスイーツを買って来てくれました。

😂😂😂

感謝してこっそり、朝早くに食べてまだだるいからだにHPを追加。

ありがとう。

 

 

本当はもう少し間隔開けたいけれど、とんかつくんとかあげくんの笑顔がみたいので、今日はまた唐揚げにしよう❤️

MPをまた使って素敵夕御飯にしよう。

 

 

愛されている安心感。

からあげくんに

愛してるの知ってた?

と言うと。

そんなんわかっとらい!

と言う。

 

猫様は

私がそばにいると幸せそうに喉をならすが、気が向かないと私の手の届かない高い場所から冷ややかに見下ろしてくる。

けれど、自分がそばにいて欲しい時は当たり前のように私を呼び、来ないとつめとぎをバリバリして不機嫌を表現し、そのあと当たり前のように私にベタベタとくっついて当たり前の顔をして甘やかされる。


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両者に共通しているのは、

自分がこの家で無条件に愛されていると自信があることだ。

これは強い。

 

この強さが彼らを幸せにしていると思う。

 

そして私ととんかつくんにも互いを一番大事に思っている自信がある。

必ず毎日愛してると挨拶のように言う。

そしてたまにこのくだりをからあげくんの前ですると、からあげくんが盛大にテレる。

 

 

愛が溢れると安心感が溢れる。

私の実家にはちょっとそれが欠けてたからどこかいつも不安だった。

よいこであり、家族として役立つ存在でないと❗という気持ちがいつもあった。

だから思う。

 

我が家は居心地が良い。

間違いなくそこのところは成功した。

今朝も猫様は私にベッタリしたあと満足して二度寝を始めた。

そして、私の一日は始まる。

 

今日も居心地のいい場所を更に気持ち良く暮らせるように私は私の一日を始める。

 

懺悔の子守唄

私はあの子を失った日を忘れた。

 

あまりにも辛いと人は忘れるのだと、どこか冷静な傍観者の自分がいて怖い。

 

 

ただ、あの日の真っ青な五月の空と新緑は私の中にあり、母の日には誰にも言わずずっとずっと病院のモノクロの風景と痛みと吐き気を罪として思い出し、あの子への謝罪を胸のうちで呟く。

 

 

だけど、あの子のとしは数えられない。

 

あのとしだったと、失った年を覚えているのだから数えようとするなら分かるのに。

私の中でストップがかかる。

 

 

ごめんね。

あなたにまっすぐ向き合えてない。

 

 

私の出した決断は正解だったのかすら深く考えるのが怖い。

 

でも、向き合わねばならない時期なのかもしれない。

私の心の奥で言い訳に内包され正当化されたように装ったドロリとした汚いものが年々腐臭を漂わせている。

 

家族は無かったことにして生きていこうとしている。

それも間違いではない。

 

家族は所詮現実を見たわけではない。

体験などもちろんしていない。

 

 

しかし、私の中にはリアルにあの子がいたのだ。そして消えた。

心のなかだけではない。

だから私だけはきっと別枠だ。

向き合わねばならないのだと。

からあげくんの成人が近づく少し前から思っていた。

 

書こうとしては消し、を何度も繰り返した。

今も消したくなる気持ちと戦いながら、かきすすめている。

 

 

 

あのときの私はからあげくんを生かすことに必死だった。

毛を逆立てた母猫のようだった。

 

ベストなタイミングで手術をするのはからあげくんの命を守るには必須であり、そのために付き添いは必須。

普通分娩が出来ないうえ持病がある私は、産前であれ、産後であれ付き添いが可能ではない気がしたし、産後であるならば生まれてくる子の育児が問題になった。

 

とんかつくんは、どうにか産めない?俺はこれ以上の事は出来ないけどと言った。

産めても赤ちゃんは病棟に連れていけない。

とんかつくんはあてにならないと思った。

 

他の家族はからあげくんの障害に恐怖感が強くて、頼むから諦めてとみんなが止めた。

みんな仕事も持っていた。

頼れない。

 

私はからあげくんの出産後持病が悪化して薬を浴びるように飲んでいたのだ。

これが決定打だ。

奇形の出るといわれる薬も飲んでいた。

 

家族の気持ちは分かったし、私も怖かった。

万全で挑んだからあげくんが、こんなに重い病なのだ、ならば。

と思って恐れおののいた。

 

 

 

だから、堕胎した。

殺したのだ。

医者が前処置だと言ったあれは何をした?

ベッドにいられないほどの吐き気はあの子の最後の悲鳴だったに違いない。

怖くて吐きながら泣いた。

 

 

 

 

私はほら。

あのこのことは考えてやれていない。

 

何一つもだ。

 

 

 

それしかないと、そのときは疑わなかった。

でも、とんかつくんに育てられたのでは。

いや、やらせて良かったのだ。

障害児であってもどうにかなったかもしれない。

這ってでも付き添い入院すれば良かったではないか。

実際点滴受けながら付き添い入院した日があったじゃないか。

それすらままならなくなった時ICUでからあげくんを預かってもくれた。

高熱の日も、10時間嘔吐しながらも、からあげくんを育てたじゃないか。

からあげくんの主治医に相談すれば良かったじゃないか。

近頃、からあげくんを守りながら、あのこを生かせたのではと考える。

 

 

ただ、出来なかった場合は、私は今生きていなかったかもしれないし、からあげくんが生きていなかったかもしれない。

そうなればあのこはどうなったのか。

そうか、あのこはきっととんかつくんと生きられた。

私はみたいものだけをみていた。

 

 

私はあの頃若かった、自分の命に未練があったし、まだまだ覚悟もなかった。

 

 

 

 

しかし、冷静に今をみると。

やはりタラレバはどこまでいってもタラレバで。

我が家はからあげくんのためだけに生きてきて、その結果からあげくんは同じ症例の中ではかなり調子がよい。

歩けないと言われたが歩けた。

翌日まで待つと危なかった心不全を、体重の不自然な増加だけで見つけて病院に走ることも出来た。

冬場のレジャーや人出の増える休みの外出は厳禁でという生活を20年続けられた。

今もこれほどまでにきちきちの感染対策をとれている。

 

兄弟がいたら無理だろう。

いや、からあげくんのために何もかも我慢させたに違いない。

本当にからあげくんの生きた道は綱渡りのようにギリギリだった。

私達夫婦は今もからあげくんを生かすために生きている。

そうしなければからあげくんを守れないのも事実なんだ。

 

 

でも。

それを免罪符のように

私はあの子の人生を奪った。

戦士として生きるという道すら奪った。

あの子の気持ちなど、命など考えなかった。

 

あの子にとって最低の母だ。

 

そして、そのくせ。

からあげくんが落ち着いた時期に不妊治療をした。

私は気持ちのどこかで、あの子がまた産めないかなんて虫の良いことを考えた。

また、こんな身勝手な事を天が許すはずはないとも考えていた。

苦しくて辛い治療はやはり実を結ばなかった。

あんなに簡単にまさかの妊娠をしたのに、あんな赤裸々な処置を何度も受けても最新の治療も実を結ばなかったのは皮肉でもあり、当然でもある。

そしてこのコロナ禍、やはり一人っ子で良かったとも思う。

私はどこまでいっても自分勝手だ。

 

だからごめんね。

貴方とはもう会えない。

ママは地獄へ落ちる。

パパも道連れだ。

貴方を最後まで諦めなかったけど、パパは貴方を育てる❗とは言わなかったから。

ママはパパが大好きだけど責任を全部押し付けたみたいなパパの

自分はこれ以上は無理だけど。

は苦しくて忘れられないから地獄に一緒に連れてくよ。

 

からあげくんにはなにも話していないんだ。

だから知らん顔してくれて良いよ。

でもからあげくんには罪がないんだよ。

腹はたつと思うけど知らん顔するくらいでいて欲しいんだ。

 

ごめんね。

やっぱりママは自分勝手だ。

地獄行き決定だ。

ごめんといいわけを行ったりきたり。

見苦しいなって本当に思う。

まとまりのない文章は美しくない。

それは私の混濁した心と同じ。

 

美しくない。

最低だ。

 

 

 

 

最低だ。

 

 

 

 

 

一度からあげくんに子守唄を歌いながら、無意識にお腹を撫でた記憶がある。

 

 

 

 

そう。

私は本当はあなたに会いたかった。

 

 

半分嘘で半分本当。

 

 

私は本当にわからない。

考えたけどわからない。

私の選んだ道が正しかったのか。

間違ったのか。

 

どうであれ。

ごめんね。

あの子にはそれしかない。

ごめんなさい。

 


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