きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

黄金の日々から落日に向かう

私は昨年からずっと体調がわるかった。

 

もはやなにがあったか全て思い出せないほどには息子には問題があり、

他にもたくさんしんどいことはあった。

私は葬儀行く前に、何度かパニック発作を起こしていた。

睡眠も1日三時間の日が何日も続き、寝込むを繰り返していたのだ。

そして、母との問題を抱えつつ、息子のモニタリング会議もあった。

 

この話題も長くなるためモニタリング会議前と、後に分けてかこうと思う。

 

そして今回は

その前段階。

息子の勘違いについてかこうと思う。

 

息子は秋の循環器外来で、医師から電動車椅子を勧められた

なるべく歩きたい息子、外来の日は大抵歩く。

そして、肩で息をしてなかなかおさまらなくなってきていたのを私もずっと気がついていた。

医師は、肢体不自由もあるし無理せずなんなら電動車椅子にしたら?

つくれるよね?

といった、

早め早めの対応をする人なのだ。

息子はこれを

心臓悪くなってきた。

あるけなくなる。

ねたきりになる。

しぬんだな。

とかんちがいしていた。

しぬひがちかい。

って。

 

私はこれに気がつかなかった。

この前から精神不安定ではあったが、さらに不安定になり自傷行為も増えていた。

身体を爪でかきむしり、頭を壁に叩きつけ、心臓を拳で叩く、肋がおれそうなほどに。

 

そんなとき、歩く途中の休憩のため杖を使う?という話がでた。

彼は、

つえつかう

あるけるじかんがのびる

ねたきりにならない

しなない!

とまた変な方に考えて杖を使う練習をすっ飛ばし、日常に突っ込もうとしてきた。

で、リハビリで練習してからだよというデイサービスの人からの注意に怒り狂い、

彼の気持ちがわかった。

ここまで一月以上、彼は、死の恐怖に震えていた。

知的障害は辛い。

たまにこんなことがある。

 

死なないよ。

の話をするとすこし落ち着いたが彼の日常はいつもなにか問題があり、私は夏からblogを更新できないでいた。

黄金の日々から落日に少しずつ向かう。

20代前半から既にそんなふうに変わってきている。

 

しんどい。

が過ぎると人は忘れようとする。

だから、これから書くことはここ最近の話だけで夏の話はない。

 

すぐにも書き出すつもりだったが。

少しだけひにちがあくかもしれない。

私は母のことでも疲弊した。

ちょっとだけ。

目をそらしたい。

そんな気分なんだ。