きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

笑って生きる理由と本当の本当

息子の身体障害者手帳療育手帳

私の精神障害者手帳

が重なって引き出しに入ってる。

コンプリート。

なんなら、多分息子も旦那も精神とれる、けどとってない。

 

20年。

頑張ったな。

私達家族。

 

大袈裟な!

とか

自分の人生も捨てたらダメですよ

とか

色々いわれるけど。

 

息子が虫の息で産まれて、

手術する❗と決めた瞬間

私と旦那の人生は息子を生かすことと守ることと見送る事のみを見つめて動く人生になった。

さいきんほんのすこし、自分達だけの人生を楽しむ余裕が出来たけど。

息子が産まれた時に生存確率三割。と言われ

ありがたくもその三割に入れた時から、私達はたぶん死ぬまで息子をみまもり続ける道を歩き出した。

 

実は私。てんかんだけどね。

薬から離脱出来ていたの。

息子の妊娠中安定期以降から妊娠出産の時に発作が起きないようにお守りのつもりで飲んでおこう。出産後暫くしたらまた離脱しようね

と言われていた。

けど、離脱出来なくなり、ストレスで発作も再発した。

何度もあった命の危機に、何度もあった悪意や侮蔑に、常に付きまとう不安と哀しみと諦めと、そしてあの時命を手離してたらという悪魔の甘言への自己嫌悪。

実家の崩壊に、義実家のゴタゴタ。

鬱に、パニック障害になった。

 

 

これは私だけの話ではなくて、

障害児が産まれたどの家庭にもある現実。

離婚や心中も珍しくはない。

 

自分の人生を諦めるか、

子供を捨てるか、⬅️離婚して片親は逃げるパターンは多い

一緒に人生を諦めるか、

 

そんな0か100かみたいな極端なことを❗

と支援者すら口にするが、

現実は厳しい。

息子が産まれるまえには健康体だった私も旦那も今では満身創痍だ。

人生楽しく、美しく、素敵に生きる。

いつだって前を向いて歩いてきたし、諦めないでいたいと今だって思っている。

私はたぶん、人より悪意に鈍いし、

旦那はたぶん、人よりメンタルが強い、

息子はたぶん、信じられないくらい陽気だ。

 

それでも深く物事を考えると足元は崩れ見えない闇にまた落ちそうだ。

何度も這い上がってきた闇のなかはべっとりとした不快感が充満している。

そのまた奥をみたらキラキラ光る世界がありそうで魅惑的だった。

ほんのすこしの執着心と責任感から這い上がったけれど。

這い上がれず、キラキラの世界にダイブした人もたくさんいると思う。

 

世界は優しく、残酷だ。

最近は、生産性、自己責任と厳しい言葉が溢れている。

 

私が極端に弱くて、責任感もなく、まるで頑張らなかった、出来損ないなんかじゃないと思いたい。

私は頑張った。

笑って、元気に、120%で生きてた❗

 

 

こんな苦境にいて、10年後、20年後、

今私がたつ場所にたつひとがいまたくさんいて、あなたがあのお母さんいつも明るくて元気ですごいよね❗

わたしなら耐えられない。

と思っている人が一番ここに近いかもしれないのをちょっと知って貰いたかった。

 

そして、元気に明るく頑張ってる貴女に、大丈夫?その笑顔は心を削って作ってない?泣き言いってもいいんだよ。

と伝えたかった。

 

もし伝わるなら。

どうか為政者の皆様、外面だけで大丈夫と思わないでください。

私達は辛いです。

本当は辛いんです。

だけど、それを口にしたら子供を貶めるようで、現実に負けてしまいそうで、リアルではポジティブに笑顔を張りつけて生きています。

気がついてくれたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

私の弟

私は弟とほとんど連絡をとっていない。

実は住所も知らない。

顔を合わせたのもコロナ禍よりだいぶ前が最後。

電話は、数年前かな?

 

弟の家には弟の家の問題や都合があり、なにより離れて暮らしているというのもあるが。

私は弟を頼りすぎた。

だから私はあえて今弟と最低限しか連絡をとっていない。

距離を縮める努力をするのが弟にとって最良ではないからだ。

弟にはいまもっと大事なものがある。

 

だから、年に一度ラインスタンプで明けましておめでとうをおくり、誕生日におめでとうスタンプを送る程度だ。

 

もはや一家離散に近い家庭が私の実家のありようだ。

 

私は自らの病気で、小学生の弟に引っ越しをさせた。(父の都合でも一度転校している。)

本当は高校から、叔母の家に下宿の予定で、実際ひとつきかふたつきはお世話になったのだが、発作を起こして母と弟が私の高校のある場所に引っ越しを迫られたのだ。

弟はそのせいでいきなり友人と切り離されて、嫌だと泣くと父に、お姉ちゃんのこと考えたら我慢しろ❗と張り手をされたらしい。

暴力で黙らされたのだ。

 

息子が産まれたときも、かなり遠方の大学生だった弟に父がお姉ちゃんのために大学休んで帰ろ‼️といったらしく。実際暫く本当に世話になった。

 

 

弟はその都度何を思っただろう。

まだ小さいと理由を私より分からず家族に振り回された。

もともと少ない彼の選択肢からさらにたくさんのものを奪われた。

 

私は甘えてしまった。

ごめんなさいもいえていない。

いつか、いつか。

この恩を返そう。そう思っていたから両親は私がみようと思っていたが、父のモラハラは年々酷くなり、弟が離脱し、母が離脱し、私も発作が頻発して離脱した。私のてんかん発症とメンタルにとどめをさしたのは父のせいで間違いないと思っている。父にも思うところがあるが、弟には本当にごめんと思っている。

父と弟は一番反りが合わないのだ。

なのに、たぶん何かあったとき彼をそこから引き離してあげることが出来ない。

 

さて、私はこんな具合に弟にとって面倒な姉なのだが、母と父が別居するまで知らなかったことが山ほどあった。

まず、弟は祖母の死因を知らなかったし、多分それにまつわる色々な事を未だに知らない。

実は私も知らないことが多く、今しっておくべきなのか悩んでいる。知るなら親戚の誰かに聞かねばならない。母にはあまりこの記憶がないのを最近知った。だから無理だ。

そして知ることは私に良いことかも分からない。

 

そして、私のために引っ越しを迫られたということになっているが、家を売却せねばならないことや引っ越し、転校は既に決まっていたらしい。

つまり、父は美しい家族愛を隠れ蓑にして自分の借金と父としての威厳を守ろうとしたのだ。弟をそれを言い訳に叩いたのだ。

むしろ、ごめんな、お父さんとこちらに残っていまの学校に通うか?位の提案は出来たのではないか。今大人の私は父母の親本位に未熟さを感じている。

父は私たち三人が住んでいた場所より狭いが格段にきれいなマンションに引っ越し仕事を続け。

弟が引っ越しに際して泣いて死守できたのは

水洗の洋式トイレであるということだけ

 

鍵すら満足に閉まらず、ウサギサイズのどぶねずみや、コウモリの巣になった長屋にひっこしたのだ。

私は文句を言える立場にはなかったが、今なら思う。

お父さんが一人で住んでたマンション、

私たちが住んでた長屋の倍位の家賃だったよね?

お父さんの借金でうちがなくなったのに、

おかしくない?

って。

 

 

結果、四半世紀弟は私に恨みを持っていただろうし、私は弟に引け目を感じていた。

 

なんて悲しい現実だろう。

きっと私たち兄弟はそんなかっこつけな父にたくさん翻弄されすぎた。

私達は痩せていき、父は独り暮らしでのみ歩き、太り今重度の糖尿だ。

 

そして声をあげられなかった母は酷く強い罪悪感を私と弟に持っていて私は

なんで❗

を母にぶつけられない。

母も被害者だからだ。

そして、なにより母は私や弟の命を守ってくれた。

弟は幼すぎておぼえてもいないから、きっと母も恨んでいるかもしれない。

それすら私たち兄弟は話が出来ていない。

 

たぶんいびつなまま終わる弟との関係性だが。

私は何かあって、なにか出来るなら弟の助けにいつかなりたいと思っている。

いつか、話せるときが来たら。

そう思う。

 

 

支援の格差

福祉サービスは基本、こちらからアクションを起こして申し込まないと受けられません。

 

情報格差がおきます。

障害児であれば医師からの声かけからうまく繋がっていく場合が一番入りやすい入り口です。

その医者や病院の

こんな制度がありますよ。

だとか、

病児ならば

この制度が使えるのですぐ申し込みをしてください

だとか。

検診からの療育、そこでの情報提供も有効です。

 

しかし、それを受けられない親も居ますし、そこの情報が全てではありません。

 

うちは生後すぐの手術の必要性から役所で医師にいわれた手続きをするさいに、他に使える制度はないのか?と訪ね、

あったかな?

という新人に不安を覚えたとんかつくんが⬅️旦那

なんかまとめたパンフレットみたいなのないのかつめより、持ち出し禁止とか言うパンフレットを見せられ、聞いても前例無いから分からないというあやふやな職員に業を煮やし、なら自分で調べるからパンフレット渡せ!持ち出し禁止ってなんのためのパンフレットなんだ!とすったもんだのあげく、障害児のための福祉制度という、次回行くと普通に配布されていたパンフレットを手に入れて。

そのころまだあまり家庭に浸透していなかったネット検索でも調べ、使える福祉一覧を役所に持っていき、したことない、前例無いと言われまくりながら一つづつ福祉を手に入れてきた。

これ、多分帝王切開のあと、息子が手術に次ぐ手術で付き添いしていた私には出来なかった作業で、夫婦で呆然としていたら沢山の援助を受けられなかった。

役所だけでなく、本屋も、病院、ホームページ作成による全国のママ友からのアドバイス、親の会の先輩ママのアドバイスと駆けずり回り情報をかきあつめ、精査し、まとめ、申請する。

障がいの受容、病気に関しての情報収集と学びと同時に、子供の死をも覚悟しながらこれだけの作業をして、手帳は生後半年くらいで手に出来たし、手当ても受け取れるようになるのが早かったから個室入院も経済的に乗りきれた。

 

 

私たち夫婦はこのての情報収集や作業が苦手ではなかった。

夫婦の連携もとれていたし、寝る間を惜しんででもやるべきという気持ちもあった。

 

さて、現在は23年前と違いネットが普及し、いちからホームページ作らなくともTwitterGoogleInstagram、blogいくらでも簡単に情報が入るようになった。

 

でも、それが苦手な人もいる。

 

リアルな世界での地域密着の情報も集めるのは意外に骨だ。

 

福祉の受け皿はまだ少なくて、人によっては必死に集めた情報を他人に話したくない人もいる。

私はペラペラ話すので、苦言を受けたこともある。

受け入れが増えたら、自分の枠が減って首締めるのになんで苦労もせず人に聞いて簡単に情報を手に入れようとする人にまで教えるの?

と。

確かに。

私が素晴らしいと聞かれたら教えていた作業療法士さんは受け入れ人数が増えて、うちは他の人に変更になった。

私に苦言を呈した方は、変更を頑として受け入れなかったらしい。

確かに。訓練の先生は当たり外れが大きくて、子供が小さい頃は特に立てるか、立てないかの大きな差となったりするからそれを責めることも出来ない。

私は良いかっこうしいだといわれたら返す言葉もない。

 

 

とにかく戦場のごとく情報をせいするものが少ない枠を手にするのが障がい者の現実だ。

 

引きこもりの私がいま息子に最善であろう福祉を受けさせてやれているのは

ひとえにケアマネージャー?生活相談員

の当たりを引いたからだ。

3ヶ月に一度2~3時間も息子に関わるデイや、ヘルパー、訪問リハビリの方々を一同に集め会議を開いてくれる。

そして息子の困り事を聞き、したいことを叶えるための制度がないか探してくれる。

私の精神的な支えもしてくれて。

我が家はこのひとから最新の福祉制度やアドバイスがもらえるのだ。

どうですか?という電話しかないという友人もいたから当たりなんだとおもう。

 

ラッキー😃💕

 

 

確かにラッキー😃💕

なんだけど。

ずるしてるみたいで申し訳ない気持ちもする。

 

 

私はこの人がいるだけで現在の最良の福祉が受けられます。

マイナンバーで保険証が紐付けされた現在。

病院から、福祉に繋いだ方がいいと判断した人を役所に連絡するシステム、出来ないでしょうか?

どん底にいる親に、助けますよ❗

これ使えます‼️

と駆けつけて泣いている親の背中を撫でてくれる人が派遣できないでしょうか?

 

私は偽善者かもしれませんが、

 

18すぎて急に厳しくなる世界の中でこの方が支えです。

 

同じ支えがみんなにあればとどうしても思うのです。

 

椅子取りゲームみたいな殺伐とした世界で、恵まれているから言えるのかもしれませんが。

私は息子が週に5日利用しているデイが4日になってもやっぱりなるべく障がい者同士が睨み合う日々は嫌だなと思うんです。

 

甘いんだろうな

と思うし。

 

実際、私はなにかと甘すぎてとんかつくんによく注意受けるんですけどね。

 

とりあえず、必要な情報だけでも親の能力や、やる気や立場に関わらず受け取りやすい仕組みが出来れば。

と思うのです

 

 

 

 

 

ドナドナ

私のはじめての車で、最後の車であろう愛車が昨日、ドナドナされていった。

 

息子が2才の時買った車だからもう20年。

 

売れる車ではなくて、旦那の友人で車の整備を生業にする人が車検の残っているあと一年を乗ってくれるというので譲った。

 

35℃という日にはクーラーが機能しないくらいには弱りきったご老体。

ちょうど任意保険が切れるタイミングに手離すことにした。

実は手続きはもう既に終わっていて相手側の取りに来られるタイミングが昨日だっただけで、もううちの子ではなくなってた。

 

私の気持ち的なもので、車検が切れる前のタイミングで譲った。

手離す=廃車=鉄屑

は悲しかったから。

あと一年、あのこはこのまちのなかを走っている。

慰めだ。

 

息子の療育、訓練、支援学校の送迎、母との逢瀬、病児ママ友とのランチ、たくさん働いてくれて、私と息子の人生を豊かにしてくれた。

 

最後に、駐車場で前後させるだけの運転をした。

私の車とのおわかれ、そして私の運転とのお別れ。

実際は前前回の発作から運転はしていなかったから私が運転から離れてもう長くて、この運転は久しぶりだった。

 

エンジン切ると

See you...good-bye

って車にひょうじされた。

 

涙でそうだった。

See you...じゃないんだよ。

ありがとう、私の唯一の車。

最後のgood-bye

 

迎えに来たカーキャリアの姿も。

ドナドナされていく姿も私は見なかった。

 

そして、今朝。

車庫には車のコンクリートの四角い、白い痕跡が残っているだけで。いつもより風通しの良い空間があった。

私の心みたいなぽっかり開いた空間。

 

車の運転、しようとおもえば許される。

だけど。

日に日に二次障害が重くなり、薬が増える私は運転を手離そうと思う。

 

山の田舎で車を手離すのは、買い物も、友人も、色々なものを手離すと同意義で私はすっかり引きこもりで、ゴミ出しくらいしか外にでないような日々なんだけど。

慣れてしまった。

だからさよならした車。

でも、さみしいな。

 

 

昨日から頭のなかでドナドナがリフレイン。

 

 

障がい者になった。

昨夕、ポストに封書が届いていた。

 

精神障がい者手帳が交付されました。

悩んだ末、申請した手帳。

 

息子に手帳を申請し、受け取ったときより等級は遥かに下だけど、気持ちは遥かに重苦しく感じた。

 

そして思った。

 

私はやっぱり、障がい者に対して奢りがあった。

恥ずかしい。

情けない。

 

 

身内に障がい者福祉に携わる人がいて、自分は幼いときから差別もなく育ってきたと思っていたし。

息子が障がい者であることを他人に話すことも躊躇いはなかった。

けど。

私は手帳をてにして、果たしてこれから気軽に

 

手帳持ってるんですよ🎵

 

といえるのか。

 

自分で決めて申請したのに。

 

自分でもいまいち理解できない喪失感や無力感そしてまた少し自己肯定感も削がれた気がする。

 

その人に寄り添う、その人の気持ちになって考える。

偉そうに思っていたが、その立場にたたないとやっぱりわからない。

って私はもう何度そんな事を思ってるんだろう。

学習しないな。

 

 

支える立場だけであれたこと、

守る立場だけであれたこと。

 

これは本当に幸せなことだった。

 

でもまだ支えられながらも支える立場で

守られながらも守る立場でいきることが出来る。

 

これは幸せなことだとおもう。

 

今日から世界の色が少しだけ変わるかもしれないけど、変わらないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

私の大好きな友人に愛を込めて

私には会ったことがないけどネットで繋がる友人がいる。

 

彼女が最近の私のblogをよんでLINEをくれた。

長い長いラブレター。

 

 

 

ありがとう。

私もあなたが大好きです。

 

あなたを尊敬しています。

私とあなたは少し似ていて、ずいぶん違う。

あなたの背負うものは私と違うし、私からみると私の何倍も重たくて。

わたしはあなたから尊敬を向けられるほうではなく、向けるほうだといつもいつも思っています。

頑張りにどうエールをおくれば良いのか、苦しみにどう寄り添ってあげたら良いのかもずっと考えていたんですが、言葉では本当に薄っぺらになる語彙しか持ち合わせない自分に歯がゆくなりました。

直接連絡するほうが良いのだろうかと思ったりもしましたが。

 

でも、あえてこのような形にしました。

私達は偶然ネットで知り合いました。

しかもおうち作業所のお客様からのはじまりでした。

奇跡的なめぐりあいです。

あなたに会えたことは私の喜びです。

たまに元気?と連絡をくれて自分も大変なのにいつだって私を気遣って、私を癒し、励ましてくれて。

 

女神様か!

って思っています。

 

私はあなたが大好きです。

そして、あなたが私のために祈ってくれるように、私もあなたの幸せを祈っています。

 

梅雨のこの時期、気分が滅入りますね。

しんどいですね。

私もです。

そんなしんどいとき、いつだってあなたから連絡があります。

ありがたいなあと思います。

返事が出来ないくらいしんどいときは許してくれるよね。

待っててくれる。

どんなに待たせても変わらない友情をくれる。

 

ありがとう。

いつもいつもありがとう。

 

 

私もあなたに出会えて幸せです。

いつもありがとう。

そしてこれからもよろしくね。

 

てをつないでゆっくり歩いていきましょう。

また連絡します。

 

 

親愛なるあなたに。

まるより。

 

 

 

 

長い先を見ない生き方

私は一年くらい前に息子が産まれて直ぐにはいった病児の親の会を辞めた。

必要なくなった訳じゃない。

むしろまたこれから息子の身体は健常者より急激にしんどくなると予測されるし、情報は少しでも欲しい。

だけど辞めた。

色々理由はあり以前書いたこともあるので今回ほとんどは割愛するが、決め手は

若いお母さんが息子の現状を聞いて一瞬、もしくはかなりの時間、取り繕えない恐怖を見せたから。

病児の場合、若い親は治療によりほぼ健常者と同じ未来を目標にしているし、その未来として成人した子供の様子を聞いて安心し、過酷な治療の今に戻っていく。

健常児より発育遅れてるけど大丈夫だ。

いつか巻き返して、一人暮らししてる、大学に行ってる、就職してる、結婚してる

手術を乗り越えた先は明るい‼️

それが見たくて会に、先輩お母さんとのランチに顔を出す。

そこに私がいる。

怖くて、見たくない、起こり得る事例が想像ではなく現実として突きつけられる。

怖い、たまらなく怖い。

きっとそう思ったんだろう。

私もショックだが、若い親は将来がきっと怖くなったはずだ。

私にもそんな経験はあるし、実は車の免許とれて、簡単なアルバイト位できる未来を妄想していた。もしかしたらデスクワークの就職できるかな?なんて今思うとお花畑な事を感じるくらい自立した未来がたくさんあり、誇らしげなお母さんに憧れすら抱いていた。

そこにたつ未来の自分も夢想した。

 

 

 

だから、

辞めた。

 

 

私は恐怖を撒き散らしたくなかった。

残念な人扱いもされたくなかった。

 

若いお母さんに罪はない。

私にだって罪はない。

そんなこともある。

 

 

先日の駅の動画、線路で自分より身体の大きな息子を抱き締めるお母さんの姿が私に重なった。

 

そして、あんなに障がい者の親が取り乱したのはきっと、

若いお母さんには未来への恐怖。未来への絶望。

現在そこにいるお母さんには明日への恐怖とやはり厳しい社会から投げ掛けられる言葉への哀しみと諦めと憤りと、そして一周回ってまた恐怖。と言う無限ループ。

二種類あったように思う。

 

そこに問題意識をもち、むしろ動画の拡散から社会気運を高め良い未来をという当事者ではないが福祉関係者もいた。

色々ないけんがあるだろうが、私は消してあげてほしかった。

親の会のお茶会で凍りついた若いお母さんをとった動画があったとしたら私は見たくない。

そこで平気な顔をして笑い食事を無理やりおしこんでいる自分も見たくない。

息子が友人にからかわれて、パニックおこし、それをまた笑われていたあの昔の映像が何度も再生されたらたまらない。

頭下げて謝って、そんな自分の後ろ姿を撮られてさらされたら。

明日いきる気力がきれる気がする。

辛い。

傷ついた私を教材にしないで。

フィクションの教材をつかって。

お願い。

と思う。

 

けれど逃げてばかりでもない。

必要な手助けがあるのだと、苦しい思いをして社会に出ることもある。

そんな困り事があるなんて想像もしなかった❗と健常者が感じてくれないと福祉制度は変わらない。

今ある福祉も先達のおかげた。

だから、がんばるときもある。

だから福祉の人の気持ちもわかる。

 

 

だけど。

今回は頂けなかった。

まだそこまでみる必要がなかった若い親を恐怖に叩き落とした。

傷ついた同じ立場にいる親の傷を開いた。

 

先の先まで考えておきましょう。

と障害児の親はよく言われる。

だけど、私はほんの少しだけ先をみて動き、動けなくなりそうな恐怖からは目をそらして、今を確実に生きるほうがいいとおもう。

 

なぜか。

福祉制度も環境もコロコロ変わる。

医療は進む。

社会情勢や人の価値観もかわる。

息子が産まれたとき、グループホームなんてなかったし、使える制度やサービスもあまりなく、ケアマネージャーなんていなかった。

あの時助からなかった命は助かり、後遺症が残らない確率も上がったが、後遺症が残るが助かる子も増えた。

よく効く薬も出来たし、ジェネリックなんてものも出来た。

 

 

いま幼児期の子が青年になる頃にはホームドアも完備されているかもしれないし、もっと安全に出歩ける何かがうまれているかもしれない。

 

そして、私たちは十分に傷ついて頑張ってる。

だから、問題提起も、新しい福祉も、生きやすい社会に向かう努力も、マイノリティー任せではなく、国ががんばってくれないだろうか?

苦しいのは障害児だけでないし、優遇しろ当たり前なんて思わない。

 

ただ、知っていますか?

私は障害児の親になるなんて思いもしなかった。

パラアスリートも中途障害の人はきっとそこで活躍する未来なんて思いもしなかったはずだ。

 

そうなったときに、少しでも絶望から救い上げ、生きることを認めてくれるのは福祉だ。

 

そして、目に見える福祉の拡充は若い親を救うはずだ。

こんな恐慌状態を防ぐのは、少しずつでも手厚くなる福祉の姿だ。

大丈夫、大丈夫。

あと数年後にはもっと良くなってる。

今を乗りきれば、少しよくなる。

未来に光りが見えるようにどうか国に、大きな力にがんばってもらいたい。

 

私達当事者は多分、もうギリギリまで頑張ってるよ。

でも、まだもっと絞り出すくらいがんばるときもある。

丸投げしてる訳じゃないのもわかって欲しい。

 

そして。

若いお母さんが今回のことに未来を儚まないで欲しい。

怖いよね、わかるよ。

だけど、ほんの少しだけの先をみて踏ん張って。

私もがんばる。

 

 

 

そして、あのお母さんが、息子さんが。

いま辛い思いをして涙を流していませんように。

祈っています。