きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

諦めと哀しみと決意

母と何度もやり取りをした。

過去を振り返った。

今を俯瞰した。

未来を予想した。

 

 

我が家には無いものばかりだけど、昔の我が家には母の愛はあったと信じていたし今も信じている。

 

けれど私は自分の意思でそこにすがり愛を乞うことをあまりしなかった。

 

母を守りたい、迷惑かけたくない、自分が情けない存在ではないから捨てないで欲しい、力になれる、

そんな風に思い

口を閉ざして、嘘をつき、作り笑いや、母の期待する自分を演じていた。

時には裏切るような真似もしたが、それが母のダメージを一番少なくする方法だと信じていた。

 

 

子供の浅知恵、きっと母は知っていただろうし、それをあざといとか子供らしくない、可愛げがないと思っていたかもしれない。

知らなかったことで余計に辛い気持ちにさせたこともあったみたいだ。

 

とにかくそれがいまの母と娘の関係を作ってしまった。

 

父がいなくなれば母との関係はぐんとよくなると信じ母の傷がいえるのを待っていた。

いつも父に追い詰められていた母が解放されて10年近くたち、

私は身勝手に今ならあの頃の寂しさを埋める言葉や態度が貰えるかもしれないと期待した。

次は私の傷が癒して貰えるかもしれないと。

 

ただ、今はもう疲れはてた老齢の母がいるだけだった。

よかれと思った私の浅はかさが母を思いの外に打ちのめしていた。

 

 

所謂一般的な家庭をそれこそ一番夢見ていたであろう母には、そんな私が息子に障害があろうと良好な夫婦や親子関係を持つのをどう見ているのだろう。

あなたには幸せな家庭があるじゃないですか。

と言われたとき

どこか背中が冷えた心持ちになった。

 

なのに❗なんでいまさら私をまた追い詰めるのよ‼️

と私には続く言葉がちらついた。

 

貴女から知らされていなかったことがありすぎました。今さらもう聞き返す力もありません。

 

私の当時の気持ちや、いじめ、性被害、なにもかも一緒くたに一文で拒否された。

40年も昔の話を蒸し返して誰が幸せになるのか、忘れて暮らせば良い。

多分母の気持ち。

貴女にはあなたの感じた真実があるのでしょうが私には私の別の真実があるのです。

もう話したくないし、聞きたくないです

奴隷として生きた方が楽だった

貴女はお父さんにつれられてお母さんを一緒に笑った

あの時私は母を放棄した

 

といわれたら。

もう母と気持ちを擦り合わせていくのすら難しくなってくる

 

私の中のいつか分かって貰えるという希望も

いつか報われるんじゃないかという一人で耐えた時間も

なんか

なんか、

なんかじゃん。

 

うまくいえないけど。

また冷たくて暗い奥底に沈めるしかないじゃん。

 

けど、それでは私が報われないから私は私を認める。

浮上させて本当の意味で怒り、苦しみ、泣き、悔しがり、罵り、そして許さずとも納得させて昇華させてしまいたい。

 

忘れて無かったことにしたい母とは違うやり方で私は乗り越えたいのだ。

 

 

 

 

あの時、皆が汗を流してるなか休みの度に部活休んで遊び歩いて、無視されてなかばやめさせられた。

私が悪いように見えたよね?

うん、悪いわ。一般的にみたら。

 

 

けど違う

父に遊びに行くの断ると、母に対して機嫌が悪くなったから絶対断らないっていう私の中の正義があった。

女の子が釣りに行きます。山に行きます。歩きに行きます。

楽しかったわけ無い

釣りに行けば船酔いして、釣りが終わるまで真夏に水も持たされず船から下ろされ無人島に置き去りにされた

真夜中の防波堤で父の姿もほとんど見えない中何時間も座ってた

そこで寝たら良いじゃないか、落ちたら流石に気づくだろ?拾ってやるからと笑う父。

情けないといわれても怖いよ。真っ暗な海に落ちたら死ぬよね?

 

父が山の奥に山菜を取りに行く間、人が通らない細い山道で何時間もまった

うすぐらくじめっとした山は怖かった

めったに通らないとはいえ道、トイレも我慢した

 

思い付いたように10キロ歩行につれていかれ、つかれて座り込むと情けないと罵られた

けど全て笑顔で楽しかった~⤴️

といえば父は上機嫌で酒をのみさっさと寝て母にはあたらなかった。

だから私はいつも自分を偽った。

 

 

挙げ句、いじめで一年近く口も聞いて貰えない、先生すら不真面目だと白い目でみた。

 

やりきれないがやりとげた私は頑張った。

 

あるひ、親戚に押し入れに押し倒され、身体を触られ、口腔内をなめまわされたが

そのあと、ちゃんと作り笑いして家族でごはん食べて家族の穏やかな時間を守ったし、その後姿を見せなくなった親戚の反省だと10さいにしてうけいれた私は強かった。

 

 

ほかにもいっぱい。

私は私が癒す。

認める、誉めて慰めて現実を受け入れる。

 

母に一緒にして貰いたいと思っていたが、母にはもうちからがのこってないみたいだ。

下手に押し付けて下手にびょうきがあっかしたらいけないから。

私があきらめて、私がなくだけで済ませよう。

そしてもう母には母を求めない。

一人の好きな女性として大事にはしよう。

哀しいが仕方ない。

 

多分まだ全てをうけいれられてはいない。

だから数日しんどい。

でも無理なものは無理だし。手に入らないものは入らない

母の母性は擦りきれてしまった。

多分たっぷりあったはず

今も余裕があると振り絞ってくれる

だけどね

いつ心中に巻き込まれるかと思いながらの生活が続くとそれは心がもたないよね。

お母さんありがとう守ってくれて。

命があるだけ愛があったってことだよね。

分かろうとしてるんだよ。

だけどね、さみしいの。

10才の私も15才の私も50才の私も母に抱き締められたいんだよ。

本音はそうなんだよね。

 

でも、

でも

でも

でもでもでもでも

 

胸が苦しいんだよ

情けないな50さいのおばちゃんが

 

 

 

 

福祉サービスが増える。

まず、今回のモニタリング会議で決まったのが、デイサービスで週に一度、訪問ヘルパーさんの生活介護で入浴介助を週に一度。

合計週に二回の入浴サービスを追加した。

 

ヘルパーが使えるようになったのは、私が手帳をとるくらいメンタルが悪くなってるからだ。メンタルとかいたが、睡眠障がいや体力低下、出来ないことが山積みになって生活に支障がきたされまくっている。

ちなみに今日の睡眠時間は一時間だ。

平均夜に三時間。

昼寝が出来たらラッキー😆💕

という生活。

それが続くと動けなくなってくる。

最悪だ。

それはまあ良いのだ、私の事だから後回しで。

 

とりあえず、お上は母がこうなるまでなかなかヘルパーにOK出してくれない。

それを期待して手帳をとったわけではないが、使えるものは使っていこうと思うのでここはすぐ決まった。

そもそも障害者にも羞恥心を認めてあげるべきだ。

24さいの男性諸君、お母さんに身体洗われるってどうよ?

もちろんお下まで母親の手が洗うんだよ?

家族だから嫌だというのはわがままだろうか?

父子家庭で、障害者が娘の場合、父が洗うのよ。

健常ならばどう思う?

24才のレディの皆さん。

嫌だよね?

 

 

次は、

やっぱり気がついてました?

きのせいじゃないですか?

さむいからじゃ?ないんですか!

急激にですよね。

足の話、歩行の話。

みんな気がついてた。

このひとつきが特にと訓練の先生。

寒い日は昨年もありましたがそのときはこんなことなかったんです。

緊張がひどいんです。

 

ってことで、今すぐは彼のメンタルがついていかないけど、数年後はたぶん今とはステージや目指す訓練が変わってくるかもと。

🤣🤣🤣🤣🤣

いつもですが、笑うしかないんですこんなときは。

出来るだけカッコいい電動車椅子かアシスト機能車椅子を探したる❗

車、買い替えなきゃいけないかしら?

えー!それは大変だな。

ヘラヘラしながら内心は号泣です。

 

腰?マットレス

あ、良いのがあるんですが高いんです。

正規の値段10万くらい。

でも買います‼️

長く身体が動かせるために必要なら。

 

色々、色々話し合ったのだけど。

私は全部を書けない。

ありすぎて。

謎の彼女についてもまだなぞだが、相手は大学生らしい。

 

そして哀しくて。

しんどくて。

書きたくないことは沢山ある。

前向きではなく後ろ向きな話題ばかりが目立った。

 

追記として、息子はメンタルクリニックにも通い始めた。

なんと、この数年で壊れた電子機器関係

彼が故意に壊したみたいだ。

みたいというのは確定ではないから。

何十万単位だ。

顔や腕を引っ掻くくらいだった自傷行為に壁に頭を打ち付けるとかも追加された。

まだ薬はでていないが

これから斜陽の時代をむかえるにあたり必要だろう。

 

産まれたときに先に見送る覚悟をしたはずなのに。

辛いなあ。

弱り行く息子をサポートしていくほうへの舵取りが始まった。

今回はそんな記念日だ。

 

母さん頑張ろ。

 

 

肩で息をする

コロナの全盛期、息子の体力は落ちた。

 

しかし、今何故か

息子の体力は急激に降下している。

体力なのか、心肺機能なのか。

実はよく分からない。

今までより短い距離を歩いたり、車椅子をこぐだけで息が上がる。

私も気がついていたが私は言わない。

私は息子の危機的な時、つまり入院している時に常に付き添って来た。

昨日の晩に明日遊ぼう❗と手を振りドアを閉めたお向かいの部屋の女の子が夜の間に急変し亡くなったり、

また会おうね✨と別れた友人と最後のお別れになったり。

そんな経験を積むと子供であっても、知的障害があっても死にたいして早熟になる。

小さな変化や不調に不安になる。

だから、私はいつだって息子にヘラヘラして

え?検査の結果?良かったから点滴が変わったんだよ⬅️逆なんだけど

 

退院?えー。もう少しいようよ。外寒いからさ、外来予定日までは絶対退院したくない‼️⬅️実は悪くなってる

 

転んだ?そりゃ血くらいでるよ。チッチッチ❗あまちゃんだなー。⬅️ヤバイなこれ、薬のせいで血が止まんないじゃん

 

いつだって母さんは軽いし、真剣に取り合わないし、軽めだと嘘をつく。

その母さんが心配げにしたら?

息子は不安になるよね?

だから。

気にしてるけど言わずにいた。

 

歩行のしかたにも変化があった

かかとがつきにくくなり、よくつまづき、よく転ぶ

腰がいたい

が口癖になる。

おかしい、おかしい。

なんで、さむいから?

そうだよね?

寒いからだよ絶対そうだ。

 

思いながらもきにしていた。

とりあえず医療用の高いマットレスを買ってやろう。

次の会議ではそこを相談しよう。

 

冬だし、毎日お風呂に入ってるのに臭いよねこの子。

まさか、手のほうも動き悪くなってる?

 

知らん素振りしながらいつだってアンテナをはってる。

そんな事を息子にばれないように話すために、モニタリング会議の前半は息子参加、

後半は細かいつめの作業があるからと息子を退場させる

 

最後にまた呼んで不自然じゃないようにこんな話をして契約したけど良かった?

こんな杖導入する話がでてる、つかうきある?

みたいに当たり障りのない事を伝える。

 

モニタリングには私と息子、たまに旦那、あと関わりのある4人の人が出席している。

 

三ヶ月に一度、息子の問題は目まぐるしく変わる。

 

性行為に関わる指導のしかたや知識の与えかた

 

謎の経路からの恋人発覚?いや詐欺?

ネットリテラシーについての指導のしかたやタイミング

経路の確定と想定しうる対処について

 

今回はQOL向上と今後の対応変化について。

思う存分青春を謳歌させてあげてください

という黄金期が今終わろうとしている

そのへんかは小さく、大したものではないが確実に変わるのだ。

 

 

黄金の日々から落日に向かう

私は昨年からずっと体調がわるかった。

 

もはやなにがあったか全て思い出せないほどには息子には問題があり、

他にもたくさんしんどいことはあった。

私は葬儀行く前に、何度かパニック発作を起こしていた。

睡眠も1日三時間の日が何日も続き、寝込むを繰り返していたのだ。

そして、母との問題を抱えつつ、息子のモニタリング会議もあった。

 

この話題も長くなるためモニタリング会議前と、後に分けてかこうと思う。

 

そして今回は

その前段階。

息子の勘違いについてかこうと思う。

 

息子は秋の循環器外来で、医師から電動車椅子を勧められた

なるべく歩きたい息子、外来の日は大抵歩く。

そして、肩で息をしてなかなかおさまらなくなってきていたのを私もずっと気がついていた。

医師は、肢体不自由もあるし無理せずなんなら電動車椅子にしたら?

つくれるよね?

といった、

早め早めの対応をする人なのだ。

息子はこれを

心臓悪くなってきた。

あるけなくなる。

ねたきりになる。

しぬんだな。

とかんちがいしていた。

しぬひがちかい。

って。

 

私はこれに気がつかなかった。

この前から精神不安定ではあったが、さらに不安定になり自傷行為も増えていた。

身体を爪でかきむしり、頭を壁に叩きつけ、心臓を拳で叩く、肋がおれそうなほどに。

 

そんなとき、歩く途中の休憩のため杖を使う?という話がでた。

彼は、

つえつかう

あるけるじかんがのびる

ねたきりにならない

しなない!

とまた変な方に考えて杖を使う練習をすっ飛ばし、日常に突っ込もうとしてきた。

で、リハビリで練習してからだよというデイサービスの人からの注意に怒り狂い、

彼の気持ちがわかった。

ここまで一月以上、彼は、死の恐怖に震えていた。

知的障害は辛い。

たまにこんなことがある。

 

死なないよ。

の話をするとすこし落ち着いたが彼の日常はいつもなにか問題があり、私は夏からblogを更新できないでいた。

黄金の日々から落日に少しずつ向かう。

20代前半から既にそんなふうに変わってきている。

 

しんどい。

が過ぎると人は忘れようとする。

だから、これから書くことはここ最近の話だけで夏の話はない。

 

すぐにも書き出すつもりだったが。

少しだけひにちがあくかもしれない。

私は母のことでも疲弊した。

ちょっとだけ。

目をそらしたい。

そんな気分なんだ。

母からLINEがきた

私が諦めた日に、母はLINEを送ってきた。

 

私を心底心配している。

約束したがこれを送っていいのか

 

と過去の我が家の記録をまとめたものを約束したが送っていいのか?

の連絡だった。

 

この人はまたなんでまたこんな的はずれなことをと言うのが私の気持ちだ。

私がもう何年話して欲しいとお願いし、先日なかばおしきるようにしてこれだけはと頼んだのだ。

私の憂いはもうそんなところにはない。

忘れたいからやめて❗話したくもない❗

となにもかも拒否する母に懇願したのは私だ。

借金や親戚関係については今後の為に、礼をかくことをするかもしれない私たちは頭を下げる覚悟をすべきか、それでも頭を上げてこれが最善だったと言えるのか、真実が知りたい。

それよりなにより、私は15から40まで人殺しだと信じて生きてきたのだ。

それがどういう真実だったのか知りたいのは当然だと思う。

それで私の傷が癒えるとは思わないが知りたい。

だから送って下さいと返事した。

 

そして

私は先日の最後のLINEは絶縁かと思っていました。

ごめんなさいと言うことばに一言もなくからだに気をつけてね。

は誤解を生む。

 

私は昔の私はお母さんに愛されたかった。抱き締められたかった。優しい言葉が欲しかった。捨てられたくなかった。

50にもなり恥ずかしいが、未だにその気持ちがあり、だから色々な気持ちをぶつけたが、お母さんにまだその力がないのだとわかったからもう望まない。辛いことを言い、させて申し訳なかったごめんなさい。

とにかく連絡があり嬉しい。

これからも何かあったら連絡して頼ってください。できるだけのことをします。

 

からだの具合はいかがですか?大丈夫?と返事した。

 

母からの返事は

 

 

何もかもごめんなさい しか言えません。

 

話のはじまりが曖昧だと、ラインは、文の順序が入れ違っただけでとんでもない悪人になって修正がきかなくなる事を知りました。

 

ただただ謝るしかありません。

 

 

これである。

 

私の勘違いで、自分はわるくないのに悪人にされたということなのか?

 

もうよくわからないが。

でもやっぱり謝るしかないといいながら自己弁護、自己保身なんだ。

 

もうこの話はやめましょうとしか書けなかった。

 

なんだか悲しいのは昔のことじゃなく、いまのことなんだよ。お母さん。

 

 

だけどね、お母さんからの愛は諦めたけど、私からの愛は諦めなくてすみそうで良かった。

 

 

 

 

おじの葬儀と母との喧嘩 追伸

最後になるが。

 

何かあったら弟に連絡。

これは、弟にまるまる被せるためじゃない。

その時、最適なことをまず、弟と話し合う。

そのためだ。

弟は跡継ぎで⬅️今時なんだけど

社会人としてそこそこの立場には有るのだろうから嫌でも選ぶ道があるかもしれない。

私はそれに従うよ。

という擦り合わせだ。

もし、親の財産で賄えないなら半分ずつもつ。

 

私は弟には借りがある。

だから、母がなんだかんだ言っても、弟が私にして欲しいということはうける

 

弟も面倒から最後まで全部お願いなど言うタイプではない。

ただ、

 

 

 

お互いにその時、生きてるのか、健康で動けるのかもわかりはしない。

誰かがしなきゃならない。

でも出来ない人は出来ないよね。

 

 

ごもっともだ。

姉弟愛がぷっつり途切れないようにしたい。

 

 

母からは昨日も連絡はなく。

どうしたいのか?

あの身体に気をつけてください

が絶縁だったのか、私にはまだわからない。

 

おじの葬儀と母との喧嘩4

涙が止まらなくなった。気がついたら私は床に突っ伏して寝ていて、テーブルに空の安定剤のからの空きケース?とスマホがあった。

安定剤の空のスペースはたくさんあったが、のみかけだったからいくつ飲んだか分からない、飲んだ記憶がないのだ。

スマホを開くと株取引のページで、私は記憶のない無茶苦茶な取引を二件していた。

これも記憶がない。

 

死ななくて良かった。

多分ある程度は理性的な飲み方をしたんだろう

ただ、くらくらふらふらしていた。

またうとうとねた。

涙がずっとでていたのか、目覚めるとクッションがぬれていた。

 

 

わたしは父が私を可愛い❤️というのは言うことを聞く思いどおりになる子供だからだとしっていた。

だから私は

母に愛されたかったが、母は、LINEの中に私達子供にもいじめられてたみたいにかいていたし、どこか希薄な感情を見せてはいた。

だけど、愛されたかった。

捨てられたくなかった。

なんか空しい。

 

帰宅した旦那が、ボソボソはなした。

お母さんは少し愛情が希薄な人だよね。

 

お前が倒れると最初の二回は直ぐ連絡したんだよ。

でも

あら、そう。

っていうだけでね。

三回目からは必要ないと連絡するのやめてたんだよ。

大丈夫。いまはおれがいるだろ?

 

と。あたまをくしゃりとなでてくれた。

私が母からもらいたかったものだった。

母からもらえなかったが旦那がくれた

 

 

私はすこし涙をこぼしたが、

うん、なんかね、昔からそうだったよ。

長期入院のときも16さいだったかな?

一人で歩いて帰ったような気がする。

うん。

そう。むかしからそんな感じだったよ。

 

15さいで一人列車の脱線事故に巻き込まれたときも、暫くして大変だったねって思い出したように言われただけだった。

 

 

だから大丈夫。

 

 

 

ははからはいまだに連絡はないが、

 

弟はとりあえず、父のことは何かあったら直ぐに連絡くれたらどうするかはなすから。

と言ってくれた。

 

哀しみはずいぶん霧散してでもまだ毎日LINEの着信を気にしている

 

 

いまではおもうのだ。

このまま関係拗らせたら体調わるくなったときうちに連絡できなくなるんじゃないかな?

どうかんがえているんだろう。

 

 

 

そして、私は母の絶対踏み込まれたくない場所に立ち入ったのかもしれない

だからといって、いまは動かない方がお互いにいいのかもしれない。

私はいまはまだ、また同じようなやりあいができない。

今度こそODをしてしまうかもしれない。

とりあえず、直ぐに出せる場所には少量しかおかないようにした。

 

私は弱い。

50を過ぎて、母の愛が欲しかったのだとようやく気がつき、無理だと何となく分かっていたのにきがつかないふりをしてきた。

 

私は父がいなくなれば我が家は普通の家庭を取り戻せると思っていたが、

数年に一度しか会わない、しゃべらない弟、

捨てられたという母、

そう話し優しくしてあげてと話すと

うーん捨てられたかあ。まあそういわれたらそれでしかたないよなー。

けど、うちは今の家族を守るのにギリギリ。

とあっさり言いきる弟。

既に崩壊してるじゃないか、

 

なんてこと。

多分最後までしがみついていたのは私

うまく使っていた母、出きるだけしかしないと割りきる弟、変だと分かりながら黙っていてくれた旦那。

 

さて。

私はこれからどういきるのか。

 

弟以上に我が家はいま、ギリギリなんだ。

息子の黄金期が過ぎようとしている。

 

私はなにを一番に考えなきゃいけないのか。

わかるのだけれどなにを切り捨てるのがわたしにはまだ決断できない。

私は多分自分の擦りきれるギリギリまで色々なことや人をてばなせない。

 

結論はでなくて、結論はでた。

 

とりあえず、私は自分が擦りきれないように一番に気を付ける。