私が諦めた日に、母はLINEを送ってきた。
私を心底心配している。
約束したがこれを送っていいのか
と過去の我が家の記録をまとめたものを約束したが送っていいのか?
の連絡だった。
この人はまたなんでまたこんな的はずれなことをと言うのが私の気持ちだ。
私がもう何年話して欲しいとお願いし、先日なかばおしきるようにしてこれだけはと頼んだのだ。
私の憂いはもうそんなところにはない。
忘れたいからやめて❗話したくもない❗
となにもかも拒否する母に懇願したのは私だ。
借金や親戚関係については今後の為に、礼をかくことをするかもしれない私たちは頭を下げる覚悟をすべきか、それでも頭を上げてこれが最善だったと言えるのか、真実が知りたい。
それよりなにより、私は15から40まで人殺しだと信じて生きてきたのだ。
それがどういう真実だったのか知りたいのは当然だと思う。
それで私の傷が癒えるとは思わないが知りたい。
だから送って下さいと返事した。
そして
私は先日の最後のLINEは絶縁かと思っていました。
ごめんなさいと言うことばに一言もなくからだに気をつけてね。
は誤解を生む。
私は昔の私はお母さんに愛されたかった。抱き締められたかった。優しい言葉が欲しかった。捨てられたくなかった。
50にもなり恥ずかしいが、未だにその気持ちがあり、だから色々な気持ちをぶつけたが、お母さんにまだその力がないのだとわかったからもう望まない。辛いことを言い、させて申し訳なかったごめんなさい。
とにかく連絡があり嬉しい。
これからも何かあったら連絡して頼ってください。できるだけのことをします。
からだの具合はいかがですか?大丈夫?と返事した。
母からの返事は
何もかもごめんなさい しか言えません。
話のはじまりが曖昧だと、ラインは、文の順序が入れ違っただけでとんでもない悪人になって修正がきかなくなる事を知りました。
ただただ謝るしかありません。
これである。
私の勘違いで、自分はわるくないのに悪人にされたということなのか?
もうよくわからないが。
でもやっぱり謝るしかないといいながら自己弁護、自己保身なんだ。
もうこの話はやめましょうとしか書けなかった。
なんだか悲しいのは昔のことじゃなく、いまのことなんだよ。お母さん。
だけどね、お母さんからの愛は諦めたけど、私からの愛は諦めなくてすみそうで良かった。