きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

懺悔の子守唄

私はあの子を失った日を忘れた。

 

あまりにも辛いと人は忘れるのだと、どこか冷静な傍観者の自分がいて怖い。

 

 

ただ、あの日の真っ青な五月の空と新緑は私の中にあり、母の日には誰にも言わずずっとずっと病院のモノクロの風景と痛みと吐き気を罪として思い出し、あの子への謝罪を胸のうちで呟く。

 

 

だけど、あの子のとしは数えられない。

 

あのとしだったと、失った年を覚えているのだから数えようとするなら分かるのに。

私の中でストップがかかる。

 

 

ごめんね。

あなたにまっすぐ向き合えてない。

 

 

私の出した決断は正解だったのかすら深く考えるのが怖い。

 

でも、向き合わねばならない時期なのかもしれない。

私の心の奥で言い訳に内包され正当化されたように装ったドロリとした汚いものが年々腐臭を漂わせている。

 

家族は無かったことにして生きていこうとしている。

それも間違いではない。

 

家族は所詮現実を見たわけではない。

体験などもちろんしていない。

 

 

しかし、私の中にはリアルにあの子がいたのだ。そして消えた。

心のなかだけではない。

だから私だけはきっと別枠だ。

向き合わねばならないのだと。

からあげくんの成人が近づく少し前から思っていた。

 

書こうとしては消し、を何度も繰り返した。

今も消したくなる気持ちと戦いながら、かきすすめている。

 

 

 

あのときの私はからあげくんを生かすことに必死だった。

毛を逆立てた母猫のようだった。

 

ベストなタイミングで手術をするのはからあげくんの命を守るには必須であり、そのために付き添いは必須。

普通分娩が出来ないうえ持病がある私は、産前であれ、産後であれ付き添いが可能ではない気がしたし、産後であるならば生まれてくる子の育児が問題になった。

 

とんかつくんは、どうにか産めない?俺はこれ以上の事は出来ないけどと言った。

産めても赤ちゃんは病棟に連れていけない。

とんかつくんはあてにならないと思った。

 

他の家族はからあげくんの障害に恐怖感が強くて、頼むから諦めてとみんなが止めた。

みんな仕事も持っていた。

頼れない。

 

私はからあげくんの出産後持病が悪化して薬を浴びるように飲んでいたのだ。

これが決定打だ。

奇形の出るといわれる薬も飲んでいた。

 

家族の気持ちは分かったし、私も怖かった。

万全で挑んだからあげくんが、こんなに重い病なのだ、ならば。

と思って恐れおののいた。

 

 

 

だから、堕胎した。

殺したのだ。

医者が前処置だと言ったあれは何をした?

ベッドにいられないほどの吐き気はあの子の最後の悲鳴だったに違いない。

怖くて吐きながら泣いた。

 

 

 

 

私はほら。

あのこのことは考えてやれていない。

 

何一つもだ。

 

 

 

それしかないと、そのときは疑わなかった。

でも、とんかつくんに育てられたのでは。

いや、やらせて良かったのだ。

障害児であってもどうにかなったかもしれない。

這ってでも付き添い入院すれば良かったではないか。

実際点滴受けながら付き添い入院した日があったじゃないか。

それすらままならなくなった時ICUでからあげくんを預かってもくれた。

高熱の日も、10時間嘔吐しながらも、からあげくんを育てたじゃないか。

からあげくんの主治医に相談すれば良かったじゃないか。

近頃、からあげくんを守りながら、あのこを生かせたのではと考える。

 

 

ただ、出来なかった場合は、私は今生きていなかったかもしれないし、からあげくんが生きていなかったかもしれない。

そうなればあのこはどうなったのか。

そうか、あのこはきっととんかつくんと生きられた。

私はみたいものだけをみていた。

 

 

私はあの頃若かった、自分の命に未練があったし、まだまだ覚悟もなかった。

 

 

 

 

しかし、冷静に今をみると。

やはりタラレバはどこまでいってもタラレバで。

我が家はからあげくんのためだけに生きてきて、その結果からあげくんは同じ症例の中ではかなり調子がよい。

歩けないと言われたが歩けた。

翌日まで待つと危なかった心不全を、体重の不自然な増加だけで見つけて病院に走ることも出来た。

冬場のレジャーや人出の増える休みの外出は厳禁でという生活を20年続けられた。

今もこれほどまでにきちきちの感染対策をとれている。

 

兄弟がいたら無理だろう。

いや、からあげくんのために何もかも我慢させたに違いない。

本当にからあげくんの生きた道は綱渡りのようにギリギリだった。

私達夫婦は今もからあげくんを生かすために生きている。

そうしなければからあげくんを守れないのも事実なんだ。

 

 

でも。

それを免罪符のように

私はあの子の人生を奪った。

戦士として生きるという道すら奪った。

あの子の気持ちなど、命など考えなかった。

 

あの子にとって最低の母だ。

 

そして、そのくせ。

からあげくんが落ち着いた時期に不妊治療をした。

私は気持ちのどこかで、あの子がまた産めないかなんて虫の良いことを考えた。

また、こんな身勝手な事を天が許すはずはないとも考えていた。

苦しくて辛い治療はやはり実を結ばなかった。

あんなに簡単にまさかの妊娠をしたのに、あんな赤裸々な処置を何度も受けても最新の治療も実を結ばなかったのは皮肉でもあり、当然でもある。

そしてこのコロナ禍、やはり一人っ子で良かったとも思う。

私はどこまでいっても自分勝手だ。

 

だからごめんね。

貴方とはもう会えない。

ママは地獄へ落ちる。

パパも道連れだ。

貴方を最後まで諦めなかったけど、パパは貴方を育てる❗とは言わなかったから。

ママはパパが大好きだけど責任を全部押し付けたみたいなパパの

自分はこれ以上は無理だけど。

は苦しくて忘れられないから地獄に一緒に連れてくよ。

 

からあげくんにはなにも話していないんだ。

だから知らん顔してくれて良いよ。

でもからあげくんには罪がないんだよ。

腹はたつと思うけど知らん顔するくらいでいて欲しいんだ。

 

ごめんね。

やっぱりママは自分勝手だ。

地獄行き決定だ。

ごめんといいわけを行ったりきたり。

見苦しいなって本当に思う。

まとまりのない文章は美しくない。

それは私の混濁した心と同じ。

 

美しくない。

最低だ。

 

 

 

 

最低だ。

 

 

 

 

 

一度からあげくんに子守唄を歌いながら、無意識にお腹を撫でた記憶がある。

 

 

 

 

そう。

私は本当はあなたに会いたかった。

 

 

半分嘘で半分本当。

 

 

私は本当にわからない。

考えたけどわからない。

私の選んだ道が正しかったのか。

間違ったのか。

 

どうであれ。

ごめんね。

あの子にはそれしかない。

ごめんなさい。

 


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