きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

障害児から障がい者へ

からあげくんが二十歳になり、色々な気持ちが少しずつ変わってきている。

 

本当に些細なことなんだけど。

私はからあげくんとここでは書いているが、実生活ではさん付けで育ててきた。

たまに呼び捨てることもあるが😂

そして、手はかけるがなるべく年相応に接しているつもりで、部屋もノックをして許可を得てからドアを開ける。

これからも、大人としてなるべく気をつけて尊厳を大事にしたいと思っている。

 

だからだろうか。

Twitterで、施設にいる障害者の日常生活を呟いた専門家?の人の文にモヤモヤした。

客観的な事実をのべるだけの部分は良いのだ。

なるほど❗そんな生活ね。

と思うのだ。しかし。

 

 

大好きな布団にくるまって寝ている姿、可愛い❤️

大きな目で時々回りを見回しおやすみなさいと言っていますが。

 

 

なんて感じの部分に私は気分が悪くなった。

この文章、たぶんからあげくんが幼いときなら気にもならなかった。

だけど、前置きに大柄な40台の男性だとあるのだ。オムツ着用とも。

 

もちろん、その年代の人に可愛い❤️と言っても通用する場面もあるし、気持ちを害すこともない場面はいくらでもある。

可愛いおじいちゃん。

存在するし、違和感はない。

 

しかし、その文にはなんだかちょっと気分が悪くなったのだ。

その男性を大きな子供、赤ちゃんとして扱っている雰囲気を感じた。

そういう対応が適切なのかもしれない。

しかし、私はなにか嫌だった。

 

 

私は少し息苦しくなった。

これは私だけなんだろうか?

その人の尊厳は知的障がいがある時点で薄れるのか。

少なくとも書き手はその方を自分より劣る存在としてみている気がしてならなかった。

 

こんなことを思う私がひねくれているのかもしれないし。

 

もしかすると、まだまだ障がいが受け入れられていないからそういう未来を見たくない❗

と感じているのかもしれない。

ただ、なんだかもやもやしてたまらない。

 

私は、からあげくんが40さいになった時に赤の他人にからあげくんを赤ちゃん扱いされたら哀しい。

 

 


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