きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

見える障害と見えない障害

息子には見える障害、見えない障害が混在している。

 

一番見えるのは肢体不自由。

車イスは一番わかりやすい。

 

つぎに、知的障害。

見えないよね?

と言う人もいるが、ある程度の重さになるとなんとなく見える。

顔つきもなんとなく違うと私は感じる。

発達障害も同じかもしれない。

ただ両方あるので、どちらがからあげくんを障がいあるよね?

な感じに見せているのかはわからない。

 

一番見えにくいのは内部障害

からあげくんにとったら心臓病だ。

(実はからあげくんは心臓が悪いだけだった。

先天性の障害はこれだけで。

あとのはこの心臓病が脳内出血をさせて、その結果現れた後天的なものばかりだ。

ある意味事故だ。)

 

 

障がいが見えやすい方が支援をうけやすい。

車イスなんかはそれにあたる。

加齢や怪我で車イスになることもあるからか、一番理解が得やすい障害なんじゃないかと勝手に思ってる。

もちろん、だから支援が行き届いているって言うのではなくて。

うまく言えないが体感がある。

社会が慣れているというのかもしれない。

 

心臓病だけだと支援をうけにくい。

優先席に座りにくいと聞くことがある。

見た目が普通だと、仕事で無理が利かなくてもあいつサボってると思われやすいんだろうな、とか想像がつく。

たまに体調悪いなら労りがあるが、ずっとで、繁忙期に一人だけ定時で帰るなんて辛いだろうと勝手に想像してる。

 

どちらが生きやすいか。

 

これはすごく難しくて。

 

支援をうけなきゃならない場面では見える方が有利。

 

でもね。

それ以外で、知られたくないときってやはりある。

気を使われたり、哀れまれたり、好奇心にさらされたり、そんな視線なしに社会に混じりたいとき。

見える障害は隠れられない。

よくもわるくも目立つ。

 

人波に混ざって静かに視線を集めずにただただ空を見上げ、海を見たい。

花をめでたい。

欲しいものを吟味したい。

 

からあげくんも、親である私も。

出掛けると、

あ!からあげくん。

からあげくんのお母さん。

と言われることがある。

車イスは目を引き、

目を引くと、気づかれる

そもそも?😓

地元では私達は知らないが周りには私達が広く認知されている。

不審者扱いされないために認知されたいと言う目的は達成されたわけだが。

面倒なやつだと思われるだろうが、ちょっと窮屈に感じる。

 

色々なことを考えていると障害を障がいと世の中が書き方を変えたけど。

そんなの当事者にはあんまり意味はなくて。

 

見えても、見えなくてもやっぱりしんどいです。

障害。

 

しんどい。

不幸ではないけど。

たまに疲れる。

 

みえても、みえなくても。

しんどい。(切実だから二度いう)

 

だけど。

心臓だけだったらな。

と。やっぱり思う。


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今回は私が何を書きたいか理解できないとおもう。

だって、私も書きながら何が書きたいかわからなくなったから。

とにかくしんどくなった。

 

もっとよく考え、練ってから投稿しようかと思ったけど。

これは、これで出すことにした。

 

理由は、障害児の子育てをしてる親はこんな気持ちで子供を育ててて、いく末を心配して、

ぐしゃぐしゃした気持ちでしんどい。と考えるのをやめているって現実があるからだ。

 

子供はかわいい、何度も言うが不幸ではない。

でもしんどい。

魔法のランプをたまにこする。

なにも起きない。