きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

価値観の変化。1

昭和に生まれた私は、平成に親となり、令和の時代に息子は成人した。

三つの元号変化の間に気がつくと人生折り返しをすぎていた。

 

私が成人した頃とは価値観が変わってきていると色々な事で感じる。

 

 

息子を産み、身近になったマイノリティーという立場。

疎外感があり、息苦しく、生きづらい、今まで居た場所から弾き出された気がする。

何もかもが困難になった。

 

 

これは障がいの有無だけではなく、性的なマイノリティーであったり、人種であったり、宗教など多岐にわたり、マイノリティーと言われる人々が体験する世界だろう。

 

これらは昔は口にすることを憚るような風潮があったものが普通に会話に上り、少しずつ前進してきている気がする。

まだまだ、マイノリティーには生きづらい世の中だけど。

私が感じるのは、街中に車イスの人を度々見かけるようになったし、福祉施設がある時期から加速度的に増えてきた。

LGBTQだと言われても、そうなんだー。と言うくらいにストンと入るようになったし、田舎街で海外の人に出会っても珍しくなくなった。

 

お揃いの衣装だったアイドルグループはいつしか、違うデザインの衣装を身に纏いはじめ、ランドセルはカラフルに変化し、社会全てが多様化、個性的に変化をしている。

みんな同じ!から少しずつ離脱している。

 

からあげくんが私達くらいの年代になる頃にはもっと彼が生き生きとしていてくれたら嬉しいと思う。

 

今まで、価値観はじわりじわりと侵食するように変わってきたが。

コロナ禍ではたった二年でガラリと変わった。

2019年の世界と今はまるで違う。

こんなに簡単に変わってしまう価値観。

信じて疑わなかった良識的な行動も2年前と今では変わった。

 

だから。

期待したい。

からあげくんが生きやすい世界が来ることを。

 


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ただ、最後に言いたいのは、

性的マイノリティーや人種差と息子達のような障害者は社会での生きにくさということでは同じであるが、厳密には同列で語るべきではない問題だと思う。

 

 

前者は障がいではない。

そもそも生きる障がいになってはおかしいのだ。

 

 

人は歳をとると介護が必要になることがある。

それと障害者は近い存在だと私は思う。

誰しも中途障害者になる可能性はある。

そうなったときどれだけ手厚い福祉がそこにあるのか。

それが生きやすさに繋がる。

年配者は辱しめられる存在でない。

それと同じく

障害者も辱しめられたり馬鹿にされたりする存在でなくなってほしい。

 

 

 

みんな歳をとる。

みんな障害者になる可能性がある。

あなたの子供や孫が障害児として生まれてくるかもしれない。