息子は先天性心疾患で産まれた。
ここから派生して知的障がいや肢体不自由となったのだが。
心臓病というものが始まりであったことに助けられたことと、傷つけられたことがある。
私は父が福祉士であり、障害者に幼い頃から接してきた。
だからといってすぐに障がいが受け入れるわけではないし、身近にいたからこその社会の厳しさもなんとなく感じていて不安になった。
でも両親は差別的なことは言わなくて救われた。
逆に義家は障がいに差別的な家だった。
だからこそ義母はからあげくんが、病気なんだと理解し、愛を育み、いつしかどこから見ても障害児となったときには愛が勝り、いまでは一番差別に感情むき出しで怒ってくれる。
からあげくんが幼い頃、一度義母が近所の知的障がいのある人をバカにしたとき、
からあげくんは、あの人より重い障害があるよ。
働けてるあの人はからあげくんには眩しい存在だよ。
と言った。
義母は驚いて小さな声で
からあげくんは病気だろ?
と言った。
からあげくんは心機能障害1級という障害だし、知的にもきっとあの方より重度だし、足も障がいが残るよ車椅子になるよ。
義母は黙った。
義家的な感覚は実は世の中に、当たり前の顔をして浸透している。
心臓病を煩いペースメーカーが入れば障害者だ。
脳を患い身体が麻痺すれば身体障がい者になる。
しかし、はじまりが病気だと障害という感覚が薄いみたいだ。老齢期になればなるほどその傾向がある。
そして、内部障害>身体障害>知的障害>重複障害
のような見せない序列をかんじる。
重複でも知的障がいが少ない場合にはあまり下に見られない。
これはあくまでも私の感覚である。
息子は心臓病が最初であったため内部障害のコミュニティーに属している。
そこのからあげくんの友人やその親は息子を下に見ていると感じられる人がいる。
確かに出来ないことは多いのだ。
心機能単独で見たらからあげくんの方がよい状態であるにも関わらず。
同年代のグループに入れてもらえず、親の目を盗み意地悪をした結果、からあげくんはそのコミュニティーに顔を出したくないといった。
そんな見えない序列を障害者コミュニティでみると私は酷く気分が悪くなる。
だから私は所属するコミュニティーからすこし離れた。
切り離さなかったのは、賛同できるプロジェクトには参加したいし、確実で新しい情報が手に入る、そして序列をつけない素敵な方もたくさんいるからだ。
ただし、障害者同士の序列には
自分はまだ恵まれている。
自分は一番苦しいところでよく頑張ってる
という自分への鼓舞や残された機能への感謝みたいなものもあり、よい悪いとは言いきれない心の揺れや葛藤がふくまれて複雑なものがある。
そして、時に
死なないんだから知的障がいより内部障害の方がずっと辛い
とか
私は足が悪いだけで健常者と同じようにバリバリ働ける❗内部障害の人はいきなり入院するからね~
とか
辛さを認められたい人
健常者にいかに近いかを認められたい人
色々いる。
あるがままにうけいれ
あるがままに生きる
のが難しいように
受け入れる親も同じ。
だから、私も最初から心奇形といわれるより心臓病といわれた方が受け入れが楽だった。
事実だ。
健常者でありたかった。
この子が健常者であれば。
こころのどこかにいつもあるのも
事実だ。