発育相談、就学相談。
そういう今後の見通しを宣告されるイベントが年に一度ある。
私はたしか三才の息子を連れてはじめて参加した。
療育からの勧めで、未熟者の私はかなりお気楽にからあげくんと二人で医者や、保健師などがいる場所に足を踏み入れた。
お母さん。この子歩けるようになると思ってる?多分無理だよ。
良くてかなり緊張のある歩き方になるね。
まぁ無理じゃないかな。
そんなことを言われた。
私はあまりにも能天気だが、脳の損傷は知的障害をもたらすと分かりながら、肢体不自由になるとは全くこれっぽっちも思っていなかった。
リハビリ受けて、みんなより少しだけ遅く歩くようになり、普通になるって信じていた。
今おもえばなんて未熟者だろうか。
だからこそショックだった。
心臓わるい
知的障害がある
歩けない
私のなかでからあげくんの未来が真っ黒にしか見えなくなった。
今おもうとそこまで?
っておもうが
堪らなく苦しくて、車で泣いてないて。
とても家に帰られなくて。
ショッピングモールに車を走らせた。
ふらふらからあげくんと屋上にたった。
もういいかな。
って思ったんだけどフェンスが高かったんだ。
そして、空がきれいだった。
だからやめた。
私は、からあげくんと買うの我慢していた可愛い食器を買い、いつも入れないカフェでひとつのケーキセットを二人で分けて食べた。
なんとも切ないが死を思い止まった直後な癖にそれが当時の私が思い付く精一杯な贅沢行動だった。
温かな紅茶を飲んだ私は家に無事帰れた。
静かに涙は流れていたけど。
からあげくんは不思議そうにしていた。
ごめん。
あなたは悪くないし。
大好きです。
だから幸せにしてあげられるか不安になりました。
怖くて逃げたくなりました。
あなたまで連れて逃げようとしました。
頼りなくてごめんなさい。
謝りながらふんばろうと甘いケーキと温かい紅茶に励まされた。
生死の境い目はそんなもんだ。
人間はどこかで必ず生きようという強い心があるんだとおもう。
からあげくんはその後、脳性麻痺との診断をその医者に告げられた。
そうか、脳性麻痺なのかとそれもその時はじめて知った。
からあげくんはその診断で心臓にプラスして肢体不自由の手帳も手に入れ、たくさんの福祉制度を利用できるようになった。
人によっては子供の障がいでお金もらえていいね。
とかいう方もいるが障がい児を育てるにはたくさんお金がかかり、こうやって血の涙を流しながら育てているのだ。
車イスも装具も50万、30万、と助けてもらえないと与えてやれない。
茶碗とカトラリーを三人分買うのも悩んでいる若い夫婦には必要な援助で福祉制度だ。
あの苦しい宣告は確かに必要だったが、もう少し優しい言葉で伝えてほしかった。
魔物に唆されてたらどうするの?
あのフェンスと美しい空に感謝。
最後に。
辛いときの衝動買いには消えものがいい。
欲しかった食器は私に苦しみを思い出させるアイテムになり、結局処分した。
残るものは幸せなときに買うのが正解だ❤️
やけ食いとか、やけ酒。
自分にご褒美。
は理にかなっているとしみじみ感じた。