きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

専門家の言葉。

専門家、例えば医者、弁護士、税理士、福祉士、教師とかいう肩書きの人を日常で崇めることのないたいぷなんだが。

 

その専門家としての知見というのは最大限の信頼や尊敬をもって接したいタイプだ。

 

だから、私は逢魔が時に屋上にたつことになった。

たまに専門家も間違えたり、奇跡的な事がおきるから絶対ではないんだけど。

それでも私を含めて、たくさんの人が専門家の意見に真剣に耳を傾ける。

すがり付きたくなる。

そして時に命すら奪うほどダメージをあたえる。

何気ない言葉も専門家という肩書きが言葉にまほうをかける。

 

真実や正論や理詰めは時に刃になる。

受けとる相手がどういう状況にあるか見極め、言葉を選んだり、フォロー態勢を確保したり、時を選んだりしながら真実をうまく伝えられるのは一流。

 

相手をとことんまで追い詰め屋上に立たせるのは三流。

そう思う。

 

まれに、なんの配慮もしないのに相手の心にすとんと落とし込める超一流な人もいる。

これは人柄だったり。

そこまで地道に築き上げた信頼関係だったり。

単に人と人の相性だったりするが、これは相手が決めることで、私は超一流ですって人にまず超一流がいないと私は思う。

 

二流は二流だ。

たいていはこのくくりじゃないかな?

だから期待しすぎてはいけないと思ってはいる。

 

だけど。

どんなに自戒していてもわたしの日常で一番身近な福祉や医療の専門家たちの言葉は私を振り回す。

 

え?

これいま書く?

手術室から生きて出てこられないかもしれないのに?

 

と医者にいわれて泣いた日もある。

腕はよくとも、対人関係的に一流ではないと思う。

しかし、それからのつきあいで、今は笑って話せるようになったが、次の日手術の親にはアウトと思う言葉だ。

 

同じく、教師の言葉も私を振り回してきた。

息子をストレスからICUに追い込み、生死の淵をさ迷わせた先生もいれば、

素晴らしい先生との出会いもあった。

息子が壊れそうに荒れていた時期に支えてくれた先生だ。

私は、自分の学生時代を合わせても息子の担任だったこの先生以上の先生はいないと思う。

優しい優しい言葉を持つ人だった。

息子も大きく変わった。


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専門家の言葉は一般人の何倍も力があると思う。

だから専門家は自分は偉大な魔法使いで人を生かすこともあれば殺すこともあるとしっていて欲しい。

 

文字でしか繋がりがない関係が増えた時代。

魔法の威力がいかほどであったか、魔法使いも見えていないことがあるみたいだ。

 

私は、専門家ではないけど。

気を付けたい。