きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

まる、断念する。

封印していた育児日記を読み、このblogにまとめ直そうとしたのですが、早々に撤退しました。

と言うには早いかな、スピードダウンしたいとおもいます。

 

あまりにも強い、当時の己の感情に圧倒されて気絶するように午睡をとらねばならなくなりました。

なんと、私も出産時からの記録かいてました。

書いたことすら忘れていた無意識の魂の叫びは悲しいかなあまりに克明で、香りや空気感まで思い出されて不思議とからだの痛みは思い出さないのに心の痛みが血のかおりと共に私を襲いました。

私は、前置胎盤のために既に二週間ほどの入院をして24時間のウテメリン注射をしていました。

お腹の張りをおさえるくすりです。

しかし、その日大量出血から緊急帝王切開になり、薬を減らす時間がなかったので、帝王切開のあとの子宮収縮が強く、また大量に出血していました。

私はその日血の香りを纏っていたのです。

 

からあげくんの手術のために病院へ向かう直前のエピソードは強烈だったので覚えていましたが、母と泣いたこと、手術半ばで病院に戻り体調をくずして倒れるように眠り続けていたことも記されていました。

 

息子の手術が深夜に及んだことは覚えていましたが、母がみんながからあげくんの病院から引き上げてくる三時までの五時間を私の病院の談話室に一人で待機していてくれたことも忘れていました。

忘れていたことに大事なものがあるのはわかりましたが、これはゆっくりしか振りかえられないもようです。


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今回は、私が入院をしている間のかなしかったエピソードをこの日記から。

 

手術に向かう直前。

私は搾乳するために、他のかたが授乳する時間に合わせて授乳室に行くように言われました。

私はその日まで自立歩行が難しく病室で搾乳していたので初めての社会への一歩でした。

 

赤ちゃんを抱いたお母さんに背を向けて一人搾乳していました。

 

授乳時間に助産師が立ち会うことや、そこがきれいな空間で搾乳した乳が汚染されないという理由でした。

孤独に搾乳していると、和気あいあいと赤ちゃんとの楽しい予定をたてている声が聞こえましたが、私には混ざれません。

比較的社交的なんですが、そこで私は異質でした。

息を詰めるように必死に搾乳。

そこで。

 

あれ?寝てしもた❗

えー。死んでない?

キャハハハハ😂😂😂😂😂😜

 

と。

私の涙腺が崩壊しましたが、からだが動かず逃げ出すことが出来なかったのです。

助産師さんがきて帰りたいと訴えたけれど、彼女は搾乳が済むまで帰してくれず、私は乳牛のように彼女に搾乳され背中に視線を感じながら気まずい時間をポロポロ泣きながらやり過ごし。

部屋に帰って、また母と泣いたと書いてありました。

母には辛い思いをさせたし、幸せなお母さんにも水をさしました。

 

 

誰も悪くない、幸せなお母さんたちを責めるつもりもない、でも辛かった。

私の赤ちゃんは今から成功率たった三割の手術に向かうのだ。

 

そんなことを私は書いていた。

 

私は既に戒名をぼんやり考えている。

と。

 

私はおもいました。

今辛いお母さんたちに。

わかるよ。

と言っていたけど。

あれは間違いでした。

タイムスリップした私は今覚えてる倍は少なくとも辛くて苦しかったのです。

実際は更に、更に辛かったんだろうな。

 

私はそんなわけで、週に一度読めるだけを読むことにしました。

ゆっくりゆっくり、大事なものを探す旅をします。

どうか気長にお付き合いください。