きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

健常児と定型児

私はTwitterで初めて定型っていう言葉を知りました。

 

言葉は悪いけど、

いわゆる

普通の発達をしてる、特性のない

をさすのかな?

 

と感じていたのですが、Wikipediaをみると、最初は自閉傾向がない事をさしていたが最近では不安障害などの精神的な障害があるとこれもまた非定型になると広い範囲にまで適用されているらしい。

 

以外Wikipediaのコピー

 

 

自閉コミュニティにおいて用いられていた最初の意味での神経学的定型という語は allism あるいは ntypical に取って代わられた。[7]これはおおよそ「神経学的定型」が当初持っていたのと同じ意味を持つ。[8] これらの語は自閉症でも他の広汎性発達障害でもない人々を指すもので、失語症などその他の神経学的非定型性を有していてもよい。

全英自閉症協会(英語版)はジャーナリストへの勧告において(「正常」や「普通」ではなく)「神経学的定型」という語を使用することを推奨している。[9]

 

 

という言葉でしめくくられていた。

 

 

私が病気なく、障害なくって子供を区別する言葉として健常を使っていたのも

普通

を使いたくなかったのだ。

 

そこには共通点がある。

 

 

しかしならばなぜ、健常ではだめだったのか。

 

そう、自閉症などの発達障がいの子達は元気なんだよね。

身体的には健康。

見た目も障がい者に見えない子も多い。

障がい者手帳ではなく療育手帳

 

心臓が悪い病児という名前もつく息子とはやはり違う。

私の勝手な感じ方なんだけど。

身体障がい、もしくは脳性麻痺などからくる知的障がいONLYと発達障がいONLYの間にはなんとなく溝があるように思う。

逆説的になるが、

身体障がい者であり、

内部障がい者であり、

知的障がい者であり、

発達障がい者であるむすこを育ててると。

 

どれか一つでもなかったら。

と願う気持ちがどうしてもわいてくる。

うちは心臓病から始まったから、

病児❗

だと思っていて

健康な子はいいな。

と思っていた。

 

障がい者手帳を持ったとき、障害児なんだな。

ってやっぱり少し思ったけど、内部障がいだけの手帳の時はまだあまり。

けど肢体不自由の項目が増え脳性麻痺によると書かれていて。

うろたえた。

そのころから、

健常児はいいな。

と思うようになった。

 

療育手帳を手にして、知的障がいも目に見える形になりわかっていたけど心は重かった。

 

精神障がい者手帳もとるべきか、発達障がいに診断名を貰うべきか悩んだとき、脳外科医にもういいんじゃない?ここまできたなら。

といわれホッとした。

うちも定型ではないことにかわりないんだけど。

なぜかホッとしたの。

 

だから。

わかるんだよ。

 

親として。

可愛い我が子

ここは少し大変だけどね、

でもね、ここは悪くないの。

うちの子はね❗これが普通なんだよ‼️

と言いたい気持ち。

自分を納得させたい気持ち。

慰めたい気持ち。

 

 

なんというか。

うまくいえないんだけど。

 

定型とか、健常とか、健康

の対極にいる我が子に対する愛や哀しみや切なさを感じてね。

 

私にはちょっと衝撃だったのです。

たかが言葉、されど言葉。

私たちは

子供の育児の大変さを語りながらも、その言葉に自ら少しだけ傷つき、少しだけ慰められ。

とにかく立ち止まることは許されなくて、今日も頑張らなきゃならない。

 

頑張ろう❗

私。

そして

皆様も。