うちの子は多分、厳密にいうと先天性の心疾患、心機能障害という内部障害。
以外は後天性の中途障害児なんだけど。
生後一ヶ月に脳内出血が起きたから、限りなく生まれたときから障害児だ。
多分、本人も生まれてひとつきは麻酔で眠っていたから、起きたら障害がてんこ盛りだったんだと思う。
生まれた瞬間の息子の写真を病院からもらったが、それがたぶん一番健常な息子だ。
客観的にみて。
やはりその写真の息子は健常児の顔をしている。
そのあと、全てのチューブが外れ私がみた息子は障害児の顔立ちだった。
そんなわけで、私は障害児の息子とだけ向き合い育児をしてきたのだけど。
事故や病気である日いきなり子供が障害児になるかたもいる。
私は、健常児の子育てが出来て数年でも羨ましい。という気持ちと。
最初から障害があっても受け入れがしんどかったのに、ある日いきなりなんてもっと辛いんじゃないか。という気持ちがある。
私ですら、あの脳内出血さえなければ❗という気持ちがあり、
先天性ではないんです。
と口にすることがある。
小学生や中学生まで普通の道を歩んできた子を持つ親はなおさらじゃないかと思う。
どちらが辛い?
という問題ではなく、どちらも辛い。
しかし。
両者には微妙な違いがある。
この子が健康ならどんな子だっただろう?
と思う親。
この子はあんなに元気に駆け回っていたのになんでだろう?
と思う親。
健康な子を妄想する親、健康な子を懐古する親。
どちらも哀しい。
そして子供を愛してる。
本人の気持ちは私には想像しか出来ないが。
からあげくんは仕方ないやろ。
うまれたときからこんなんなんやけん。
という。
やはり彼には、生まれた時からなんだ。
そこですら私と違う認識がある。
本人の気持ちと同じように、私は、先天性障害のみ、後天性障害のみ、の親の気持ちは想像しか出来ない。
そして、きっと私が一番同じ気持ちを共有できるのは、先天性と後天性の複合型の人なのだ。
障害児の親とひとくくりにされるが。
そのバックヤードは皆違う。
皆違う経緯のなかで、違う感情を抱えて生きている。
だから、福祉政策で、障害児の親を数人集めたからといって本当に気持ちがわかり合えたりしない。
ネットよりリアルのつながり。
と福祉の方はいうが。
障害児の親の気持ちをそう簡単にはからないで欲しい。
ネットの方が数が多い分、より自分の子供に近い症例の親に出会える。
そこを、年配の人ほどわかっていない。
現実逃避をしているとまでいわれたことがある。
私たちは普通のママ友みたいに集まって優雅にお茶をのむなんて本当に難しいのだ。
だからリアルよりネット。
そこからの連絡交換。
そんなやり方が一番よい理解者に出会える。
もちろん、似たような症例がたくさんいるタイプはまた別問題だ。
それは稀だと思うけれど。
そして、命に直結する心臓病を持つからあげくんは、そうやって見つけた全国に散らばる友人をたくさん亡くした。
その後も付き合う人もいれば、歳を重ねるからあげくんをみるのが辛い人もいる。
健常者の社会に溶け込み、そちらの世界が居場所になる人もいる。
ご近所でないからこその離れやすさも私たちには大事な事だ。
ネットは現実逃避ではない。