前回はお金について書いたが。
私の問題の本質が本当に金だけにあるのか?
と言うとそうではないと思う。
知らない、出来なくなる。
のが怖いのだ。
息子が生まれてすぐ、
私はもともとないねるまを惜しんで、mixiやブログすらなかった時期に本を読み漁りプログラムを組んでホームページを作り、全国から似た病気の友人を探し、情報を集め、
とんかつくんは役所に日参して使えそうな福祉制度を片っ端から申請してくれた。
私はこの時、携帯すら持っていなくて、パソコンはあるが、ワープロ機能として使用していた。
とんかつくんはひとりで役所にいくのははじめてだった。
からあげくんは年間の半分を入院していていつ何があってもおかしくないくらい手術が繰り返されていたし、私は付き添い入院で居住地とは違う県でワンオペの極みをしていた。
それでも必死だった。
療育に通うため10年間のペーパードライバーからも離脱したし、知らないことばかりの中で最良を選ぶために知識を必死に増やしてきた。
知識は色々な不自由を緩和してくれるし助けてくれる。
だが、歳を重ねそれが出来なくなったら、頼れるのはお金じゃないの?
となったのだ。
人だと思ったときもあった。
しかし、親の為にお金や時間をさくのすらためらう姉弟に不安を感じ、
友人は主に子供の障害が重たい人ばかりになり。
私たちはいつも自分のことですら手が回らないような有り様なので、普通の
友達は大事!
っていうのと少し違うのだ。
助け合えるのは心の支えになるくらいで。
それすらなかったら私はいまでもぽきりとおれるかもしれない。
だから大事だから頼れない。
ずっと入ってた親の会は、うちの息子が小さい子供をもつ会員さんが恐れて暗くなるような未来を生きていて、私の存在がマイナスにしかなっていないと感じるばかりで辛くてやめた。
そこは病児の会であり、障害児の会とは思いたくないし、限りなく健常者よりの障がい者としての少しの恩恵をもとめるような場所であった。
悪いとは思わない。
私も、息子が小さいとき大学生独り暮らしになったお兄さんをみて希望をもち、その希望があるから頑張れたときもあったのだ。
だんだん会話にはいれなくなり、新会員さんからはひきつり笑いしか向けられなくなった悲しみは仕方ないことだ。
みんな必死。
だから。
ファミリーと言う単位を守りたい。
これが何より何より基本。
でもね。
死亡届は自分で出せない。
最後のひとりは誰か身内に頼らなきゃならない。
かといって、身内の中で良いように使われるには体力も気力も財力もない。
一番現実的なのはやっぱり財力を保つことなんだけど。
はたして現実的でしょうか?
とんかつくんひとりの稼ぎで四人分の老後を保つのは。
たのむから、たのむから助けて。
優しい言葉くらいちょうだいよ。
未だに既読スルーで電話もない義姉。
さきがますます見えなくて怖いんだよね。
義母ちゃんもだろうけど。
私たち家族の方が怖いんだよ。
というと義母ちゃんを追い詰めるから、自分達がお金も心も体力も気力も切り詰めるしかない。
そしてそれはどれだけ切り詰めなきゃいけないのか分からないし、どんどんわからなくなるのが不安で怖くて。
正直辛い。
とんかつくんには実の母で姉だから辛いと言えないし、今、彼も潰れそうだから寄りかかれない。
ヘラヘラして平気そうな顔でいるために。
ここでだけ言っておく。
わーたーしー❗
つーらーいー!
怖いよー😭