きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

戦士達へ思う。

うちは一人っ子だから、兄弟がいない。

これは願ってこうなったわけではない。

色々あった。

でも、私はこれが私の抱えられる限界だったのだと今は思う

 

障がいのある子供はつらい。

兄弟もつらい。

両方を愛する親は辛いし、

障がいのあるこだけを愛せない親もつらし、

障害のあるこのために下の子が居ると思う親もつらい。

 

そして。

障害のあるこだけの親は、ひんしゅくを買うのを覚悟していうが、障害のない子を育ててみたかったとちらっとよぎることがある。

必死に首を横にふり、振り払うがたまにわいてきて私を苦しめる。だから辛い。

 

 

昔、療育の先生が、下の子が生まれたお母さんに

これで一人前のお母さんだね☺️

というのを聞いた。

男女を産んだからか、

それとも、

下の子が健常者だったからだろうか?

真意は怖くて聞けなかった。

 

どちらにしても私は胸がぎゅっとした。

 

障害児を育てていると、普通に子育てしていたらきっと見えないことを見て、考えないことをたくさん考える。

兄弟児は子供ながらに大人ですら胸がぎゅっとするような事をたくさん考えながら生きている。

 

障害児が勇者ならば、兄弟児は孤高の戦士だ。

 

私は小さな戦士を育てる機会に恵まれなかったが彼らの苦しみや辛さは障害のある兄弟と同じくらい大きい気がする。

 

そして。

戦士へのフォローは勇者へのフォローに比べ格段に少ない。

そんな気がしてならない。

 

米津玄師の馬と鹿を聞くと私は我慢して我慢して我慢して、そんな兄弟児の姿が浮かぶ。

勇者の影に隠れ、しかしいつも傷だらけで、家の外でも中でも戦っている戦士達にエールを。

 


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そして、あのこがいたら今頃高校生だな。

ごめんね。本当にごめんね。

と母の日に思う。