きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

長い先を見ない生き方

私は一年くらい前に息子が産まれて直ぐにはいった病児の親の会を辞めた。

必要なくなった訳じゃない。

むしろまたこれから息子の身体は健常者より急激にしんどくなると予測されるし、情報は少しでも欲しい。

だけど辞めた。

色々理由はあり以前書いたこともあるので今回ほとんどは割愛するが、決め手は

若いお母さんが息子の現状を聞いて一瞬、もしくはかなりの時間、取り繕えない恐怖を見せたから。

病児の場合、若い親は治療によりほぼ健常者と同じ未来を目標にしているし、その未来として成人した子供の様子を聞いて安心し、過酷な治療の今に戻っていく。

健常児より発育遅れてるけど大丈夫だ。

いつか巻き返して、一人暮らししてる、大学に行ってる、就職してる、結婚してる

手術を乗り越えた先は明るい‼️

それが見たくて会に、先輩お母さんとのランチに顔を出す。

そこに私がいる。

怖くて、見たくない、起こり得る事例が想像ではなく現実として突きつけられる。

怖い、たまらなく怖い。

きっとそう思ったんだろう。

私もショックだが、若い親は将来がきっと怖くなったはずだ。

私にもそんな経験はあるし、実は車の免許とれて、簡単なアルバイト位できる未来を妄想していた。もしかしたらデスクワークの就職できるかな?なんて今思うとお花畑な事を感じるくらい自立した未来がたくさんあり、誇らしげなお母さんに憧れすら抱いていた。

そこにたつ未来の自分も夢想した。

 

 

 

だから、

辞めた。

 

 

私は恐怖を撒き散らしたくなかった。

残念な人扱いもされたくなかった。

 

若いお母さんに罪はない。

私にだって罪はない。

そんなこともある。

 

 

先日の駅の動画、線路で自分より身体の大きな息子を抱き締めるお母さんの姿が私に重なった。

 

そして、あんなに障がい者の親が取り乱したのはきっと、

若いお母さんには未来への恐怖。未来への絶望。

現在そこにいるお母さんには明日への恐怖とやはり厳しい社会から投げ掛けられる言葉への哀しみと諦めと憤りと、そして一周回ってまた恐怖。と言う無限ループ。

二種類あったように思う。

 

そこに問題意識をもち、むしろ動画の拡散から社会気運を高め良い未来をという当事者ではないが福祉関係者もいた。

色々ないけんがあるだろうが、私は消してあげてほしかった。

親の会のお茶会で凍りついた若いお母さんをとった動画があったとしたら私は見たくない。

そこで平気な顔をして笑い食事を無理やりおしこんでいる自分も見たくない。

息子が友人にからかわれて、パニックおこし、それをまた笑われていたあの昔の映像が何度も再生されたらたまらない。

頭下げて謝って、そんな自分の後ろ姿を撮られてさらされたら。

明日いきる気力がきれる気がする。

辛い。

傷ついた私を教材にしないで。

フィクションの教材をつかって。

お願い。

と思う。

 

けれど逃げてばかりでもない。

必要な手助けがあるのだと、苦しい思いをして社会に出ることもある。

そんな困り事があるなんて想像もしなかった❗と健常者が感じてくれないと福祉制度は変わらない。

今ある福祉も先達のおかげた。

だから、がんばるときもある。

だから福祉の人の気持ちもわかる。

 

 

だけど。

今回は頂けなかった。

まだそこまでみる必要がなかった若い親を恐怖に叩き落とした。

傷ついた同じ立場にいる親の傷を開いた。

 

先の先まで考えておきましょう。

と障害児の親はよく言われる。

だけど、私はほんの少しだけ先をみて動き、動けなくなりそうな恐怖からは目をそらして、今を確実に生きるほうがいいとおもう。

 

なぜか。

福祉制度も環境もコロコロ変わる。

医療は進む。

社会情勢や人の価値観もかわる。

息子が産まれたとき、グループホームなんてなかったし、使える制度やサービスもあまりなく、ケアマネージャーなんていなかった。

あの時助からなかった命は助かり、後遺症が残らない確率も上がったが、後遺症が残るが助かる子も増えた。

よく効く薬も出来たし、ジェネリックなんてものも出来た。

 

 

いま幼児期の子が青年になる頃にはホームドアも完備されているかもしれないし、もっと安全に出歩ける何かがうまれているかもしれない。

 

そして、私たちは十分に傷ついて頑張ってる。

だから、問題提起も、新しい福祉も、生きやすい社会に向かう努力も、マイノリティー任せではなく、国ががんばってくれないだろうか?

苦しいのは障害児だけでないし、優遇しろ当たり前なんて思わない。

 

ただ、知っていますか?

私は障害児の親になるなんて思いもしなかった。

パラアスリートも中途障害の人はきっとそこで活躍する未来なんて思いもしなかったはずだ。

 

そうなったときに、少しでも絶望から救い上げ、生きることを認めてくれるのは福祉だ。

 

そして、目に見える福祉の拡充は若い親を救うはずだ。

こんな恐慌状態を防ぐのは、少しずつでも手厚くなる福祉の姿だ。

大丈夫、大丈夫。

あと数年後にはもっと良くなってる。

今を乗りきれば、少しよくなる。

未来に光りが見えるようにどうか国に、大きな力にがんばってもらいたい。

 

私達当事者は多分、もうギリギリまで頑張ってるよ。

でも、まだもっと絞り出すくらいがんばるときもある。

丸投げしてる訳じゃないのもわかって欲しい。

 

そして。

若いお母さんが今回のことに未来を儚まないで欲しい。

怖いよね、わかるよ。

だけど、ほんの少しだけの先をみて踏ん張って。

私もがんばる。

 

 

 

そして、あのお母さんが、息子さんが。

いま辛い思いをして涙を流していませんように。

祈っています。