きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

知命

私は今年、知命の歳を迎える。

 

今朝、

若い頃波瀾万丈だった人はマイノリティーの子育てに文字にしにくい向きのようなものを感じる

というのを呟いているかたをお見かけした。

 

それをみてなんというか。

私は知命を感じた。

 

息子が私を選んで産まれてきたとは決して思わない。

単に確率だと思う。

というか、自分を信じこませてきた。

 

 

父が問題を起こす度に仕方のない人だ、親は選べないと自分でどこかあきらめていた。

祖母が自死して、父に私のせいだと暗にほのめかされた時、打ちのめされたが疑わなかった。そしてすぐに病を得て、父にお前の人生終わったなと言われた時は天罰が下り、そぼや、父や父方の親族に少し罪を償えたのだろうかとむしろほっとしたところもあった。

金銭的に余裕がなくて辛い思いや我慢もしたが子供にはなにも出来ないと聞き分け良くあきらめた。

好きなものより、安いものを選ぶような生き方が染み付いた。

 

そして、ずっと誰にも言えなかったが、思春期に身内に性的な虐待?ハラスメントを一度受けたことがある。

本当に誰にも話せないままこの歳を迎えた。

私の法事や墓参りの類いへの忌避はここにある。

あの人に会うかもしれない恐怖だ。

しかし、最後のラインまで引きずり込まれなかったことや、それ以来会わないことに、きっとあの人が一時の気の迷いを自分で押さえ込んだであろうことや罪悪感をみるようで私はなかったことにしようとせりあがる吐き気を押さえ込んできた。

 

私の親から離れるまでの日々は恐怖や諦めにたくさん支配されていたが、それでも私は自らが不幸だと思うのが嫌だったのと、母が大いに犠牲になって守ってくれたから輝きを見つけて手を伸ばして伸ばしていた。

まやかしかもしれないが、私は幸せさがしをするのが得意だ。

 

息子が産まれたあとも重なる息子に関する不幸や、息子を優先するための堕胎、その後の実らなかった不妊治療、とうとう耐えきれなり病んだ精神。

その病気で私の小さな幸せの輝きのいくつかがそれにより消され哀しかった。

 

だけど。

 

それでも私は日々を美しく楽しく過ごすための幸せさがしをするのが得意だ。

子供の頃の苦境や不便や悲しみが私にその力をくれた。

 

しかし、

この程度のことは世の中のたくさんの人が心のなかに秘めていることなんだろう。

 

私はきっと幸せな人生を歩んでいる。

 

 

私はたぶん、私や旦那が産まれるに至るまで繋がってきた先祖たちの長い永い命の旅の終着点を見届ける、最後になる息子が美しく幸せに土に帰り、光りにとけるまでの最後の守り手としての役割をまかされたんだと思う。

 

その命の流れが綺麗な水滴一粒になるよう

幸せに思えるように。

川の流れが細く細くなりいつしか消える細い支流が私たちかぞくさんにんだ。

 

私の運命はそこに行き着くはず。

 

子孫を残す旅路は消えるけれど、マイノリティーの息子が、そしてその家族があとに残る人たちに少しだけ残せるのは

マイノリティーの世界が良くなるための試行錯誤であったり、発信であったりそんなことかな。とおもった。

 

うまく言えないんだけど。

これだけぼろぼろになってるんだけど。

たぶん、私はマイノリティーの子育てに向いた人間で、

たぶん、色々な経験をした。

そして、これからも色々な経験をする。

 

過去の辛さが、経験がきっと私にちからをくれるはずだ。

 

派手なことは出来ないけれど。

地味に普通に私は私の運命を生きていこうと思う。

なにより、親と過ごした時期に哀しかった些細なことを救い上げ浄化してくれるとんかつくん⬅️旦那には感謝してるし今日も幸せに過ごして貰いたいと思う。