きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

親の会をやめる

先日、生後すぐに入った親の会をやめた。

 

想像以上の喪失感にいま私はどこでも、いつでも泣けるような不安定な気持ちでいます。

正直、ずっと悩んでいたし、最近なんの集まりにも参加しなくて、たまにグループラインに書き込むくらいでしたから、やめるきっかけが来年度の会費の振り込み時期という事務的なものであり、それほど自分がショックを受けるなんて思いもよらなかったため、衝撃的でした。

私に、この親の会は支えであったのだと。

 

私は、先輩お母さんたちにたくさん助けて貰い、イベントに参加し、ある時期は会報誌の支部報を何年か作ったり、イベントを主催するために下見やら下準備を手弁当でしたり、小さなお茶会や食事会も企画したし、他県まで総会に行ったりもしました。全国紙に寄稿もしました。

どんなに参加しなくても、自分の払う会費が、いま大変な苦しい子どもやお母さんの活動費になるなら助けて貰う時期を過ぎたのだから助けてあげたい❗とそれがわたしのなんていうか、誇りでした。

 

なぜ参加しなくなったか。

それは、息子がその会の中でも仲間たちから疎外されたから。

彼が、行き渋るようになり、最後は行きたくない‼️と拒否したのです。

同じ年頃の幼い時期を一緒にあそんだ友人は、年相応に成長し、息子だけは知的にも、発達も、そして肢体不自由もあり同じように遊べなくなった。

友人たちは、たまにしか会わないけど同じ苦しみを持つ仲間に会うのが楽しみでしたいことも話したいことも、少ない時間で味わい尽くしたい。

息子はだんだん邪魔になり。

お母さんたちが情報交換するなか、子どもたちだけで遊ぶ❗となると車いすが移動できない通路をあえて使い、息子をまいたり、追い付くと走って移動して息子を指差してクスクス笑いながら盛り上がる。

他の親も少しはみていたはずだけど、私は介助が必要だから全部をみていた。

狡猾な子達は自分の親が来たときだけ息子と遊んでみたりして。

気分が悪くなったし、哀しかった。

同じように困ったような顔をして息子といてくれる子もいたが、その子が賢くて楽しい遊びをしているお兄さんたちと遊びたそうにしているのは私にもわかった。

だから、行くのをやめた。

息子はいきたくない。

息子を気にして楽しめない優しい子もいる。

親のエゴを貫き通し行けるわけないのだ。

私がなかよしさんと会いたい、そんなのは小さなことでしょう?

もともと子どもを守る会なのだから。

 

そうして息子は参加しなくなり、それでも私は母だけのお茶会にいそいそ出かけた。

だって、学校には私をランチに誘ってくれる人はいなかった。

彼女たちは私がいるとついていけない話題で盛り上がりたい、例えば普通クラスの先生の話や、クラスの話題、進学の話、塾や習い事。

私がいるとね、優しい人はそこを避けるのだ。

結局、話を選ぶと天気の話になるのがわたしもつらくて、たまにランチに行く話をしてるのをたまたま聞いてしまい

えっとー来る?

みたいに言われても断るようにしてた。

ありがとう❤️用事があっていけないの、またさそってね☺️

と。

明らかにほっとしているのを最後はもうくすっと笑うくらいには平気になっていた。

だから、私は親の会のランチが好きだった。

子どもがまだ普通学校に通っているうちは、まだまだ話題について行けたし。

だけど、体調を崩して数年行けなかったうちに様子が変わった。

若いお母さんが入り、久々に顔を出したからすこし自己紹介と息子の現状をはなした。

 

一瞬、若いお母さんたちの顔が青くなり悲壮感すら漂った。

そうだな。

わかる。

と思った。

いろんな話題で私が話すたびやっぱり凍る。

些細な話題ですら普通校と支援学校では様子が違い、出来ないこともレベルが違う。

帰るときに、もう来るのはやめよう。

みんなに悪い。

そう思った。

 

哀しかったというより、申し訳なかった。

高いランチ代を支払い、こんなに怖いおもいをさせた。

自分は罪深いなと思った。

 

それから数年、会報すらみるのも辛かったからやめると決めたのに。

グループラインから脱退する確認のボタンを押すときに私は泣いた。

涙が止まらなかった。

辛いな。

去るのは。

だけどね。

いま去るのが一番なんだ。

遅れたら遅れただけ自分が傷付くんだ。

 

なくなった居場所をうめるように、メルカリにもショップを作る手続きをした。

涙を袖でふきながら私は新しい居場所をつくる。

代わりになるものではないけれど。

でも少しでもプラスに針がふれたら良い。

だって、良い思い出まで消したくないから。

一年後、私は笑っていたい。

 

そして。

もうひとつ。

追加でこのはなしをかこうとおもう。

若いお母さんたちの顔がくもった哀しみを私はわかるから。

そのはなしを。

たぶん、わからない人もいるとおもうのだ。

だから、わたしの考えを、出来たら今日。無理なら明日、

文章にしたい。

若いお母さんは全く悪くないのだ。

私はそんなこと一ミリも思っていないとその事を書きたいとおもう。

よかったら、よんでもらいたい。

若いお母さん、そして昔若かったわたしのはなし。

 

 

と言うことで前編おわり。

 

 

つらすぎて読み返せないので、文章の推敲ができていません。

読みづらいことお許しください。