きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

私の弟

私は弟とほとんど連絡をとっていない。

実は住所も知らない。

顔を合わせたのもコロナ禍よりだいぶ前が最後。

電話は、数年前かな?

 

弟の家には弟の家の問題や都合があり、なにより離れて暮らしているというのもあるが。

私は弟を頼りすぎた。

だから私はあえて今弟と最低限しか連絡をとっていない。

距離を縮める努力をするのが弟にとって最良ではないからだ。

弟にはいまもっと大事なものがある。

 

だから、年に一度ラインスタンプで明けましておめでとうをおくり、誕生日におめでとうスタンプを送る程度だ。

 

もはや一家離散に近い家庭が私の実家のありようだ。

 

私は自らの病気で、小学生の弟に引っ越しをさせた。(父の都合でも一度転校している。)

本当は高校から、叔母の家に下宿の予定で、実際ひとつきかふたつきはお世話になったのだが、発作を起こして母と弟が私の高校のある場所に引っ越しを迫られたのだ。

弟はそのせいでいきなり友人と切り離されて、嫌だと泣くと父に、お姉ちゃんのこと考えたら我慢しろ❗と張り手をされたらしい。

暴力で黙らされたのだ。

 

息子が産まれたときも、かなり遠方の大学生だった弟に父がお姉ちゃんのために大学休んで帰ろ‼️といったらしく。実際暫く本当に世話になった。

 

 

弟はその都度何を思っただろう。

まだ小さいと理由を私より分からず家族に振り回された。

もともと少ない彼の選択肢からさらにたくさんのものを奪われた。

 

私は甘えてしまった。

ごめんなさいもいえていない。

いつか、いつか。

この恩を返そう。そう思っていたから両親は私がみようと思っていたが、父のモラハラは年々酷くなり、弟が離脱し、母が離脱し、私も発作が頻発して離脱した。私のてんかん発症とメンタルにとどめをさしたのは父のせいで間違いないと思っている。父にも思うところがあるが、弟には本当にごめんと思っている。

父と弟は一番反りが合わないのだ。

なのに、たぶん何かあったとき彼をそこから引き離してあげることが出来ない。

 

さて、私はこんな具合に弟にとって面倒な姉なのだが、母と父が別居するまで知らなかったことが山ほどあった。

まず、弟は祖母の死因を知らなかったし、多分それにまつわる色々な事を未だに知らない。

実は私も知らないことが多く、今しっておくべきなのか悩んでいる。知るなら親戚の誰かに聞かねばならない。母にはあまりこの記憶がないのを最近知った。だから無理だ。

そして知ることは私に良いことかも分からない。

 

そして、私のために引っ越しを迫られたということになっているが、家を売却せねばならないことや引っ越し、転校は既に決まっていたらしい。

つまり、父は美しい家族愛を隠れ蓑にして自分の借金と父としての威厳を守ろうとしたのだ。弟をそれを言い訳に叩いたのだ。

むしろ、ごめんな、お父さんとこちらに残っていまの学校に通うか?位の提案は出来たのではないか。今大人の私は父母の親本位に未熟さを感じている。

父は私たち三人が住んでいた場所より狭いが格段にきれいなマンションに引っ越し仕事を続け。

弟が引っ越しに際して泣いて死守できたのは

水洗の洋式トイレであるということだけ

 

鍵すら満足に閉まらず、ウサギサイズのどぶねずみや、コウモリの巣になった長屋にひっこしたのだ。

私は文句を言える立場にはなかったが、今なら思う。

お父さんが一人で住んでたマンション、

私たちが住んでた長屋の倍位の家賃だったよね?

お父さんの借金でうちがなくなったのに、

おかしくない?

って。

 

 

結果、四半世紀弟は私に恨みを持っていただろうし、私は弟に引け目を感じていた。

 

なんて悲しい現実だろう。

きっと私たち兄弟はそんなかっこつけな父にたくさん翻弄されすぎた。

私達は痩せていき、父は独り暮らしでのみ歩き、太り今重度の糖尿だ。

 

そして声をあげられなかった母は酷く強い罪悪感を私と弟に持っていて私は

なんで❗

を母にぶつけられない。

母も被害者だからだ。

そして、なにより母は私や弟の命を守ってくれた。

弟は幼すぎておぼえてもいないから、きっと母も恨んでいるかもしれない。

それすら私たち兄弟は話が出来ていない。

 

たぶんいびつなまま終わる弟との関係性だが。

私は何かあって、なにか出来るなら弟の助けにいつかなりたいと思っている。

いつか、話せるときが来たら。

そう思う。