きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

福祉の人

うちの身内には、

教育と福祉の関係者が非常に多い。

 

が、

質はピンキリだ。

 

残念だが、私の父は私からすると最悪だった。

 

立場的にはかなり上で職を退いたし、

寄付をしたり、家族より仕事を優先したが。

多分、嫌われてたと思う。

人の気持ちがわからない、寄り添えない人だった。

 

 

息子が産まれるまで私は父を尊敬していたし、暫くはかなり頼りにしていたが、段々ガッカリして、最後はモラハラの洗脳にまで気がつき絶縁した。

とはいえ、父だ。

心配している

が、接触は出来ない。

私が壊れそうになるからだ。

 

まず辛かったのは、息子の障がいにかんし、常に福祉の人目線だった。

いくら仕事柄とはいえ、私は家族として気持ちを揺らして、父としていて欲しかった。

まあ、これはしかたないかもしれない。

 

そして、次に私が同じ障害児の母同士でお茶するのを。

おぉ!そういう傷のなめあいってのが良いこともある。ピアカウンセリングって言ってな!

と知識を自慢げに披露した。

傷のなめ合い?

私は聞き直したが、父は悪びれずまた同じ言葉を口にした。

こう口にしたのが身内の中だけであって欲しいと娘として願う。

 

そして発達の遅い息子が、自分でスプーンを使ったとかつかまりだちしたとか。

そんなことを誉めると

お前は良いよな❗そんな当たり前のことで誉められて。

と息子を鼻で笑い。

ある日、とうとうアナログ時計が読めなかった息子に

お前バカだなー。まだそんなこともわからないのか❗

と言った。

 

息子、中学生の頃だ。

 

逆に、出来の良い弟の子供には、'からあげ'は障がいあるのに頑張ってる、お前たちはそれくらい出来て当たり前だ❗

 

といい、思うように動かないと孫相手に憤怒する。

明らかに孫が自分より優秀なことへの腹立ちだ。

 

福祉の人らしからぬあれこれ。

 

私も父に中学生の時、身内の自死を私が原因だと言われて20年以上罪の意識の中で苦しんだが。

最近、父が原因だと身内に責められわたしに八つ当たりしたのだと知った。

 

その苦しみで私が病を得た時は、中学生の娘に

お前の人生終わったな。

と言った。

 

まあ、福祉の人目線からみて中学生にして持病持ちになり無理が効かなくなり、多くの事を諦めなければならなくなった私は福祉を受ける対象者になりうる病であったため、将来厳しいぞ❗という気持ちが出たのだろう

 

私は父を尊敬していたから、こんな体になり父に申し訳ないと思った。

持病が原因で安定した職に就けなかったのも事実である。

福祉の立場からの冷静な物言いだったのだろう。

 

しかし、親としてはあんまりだ。

私は息子の人生終わったな❗なんて言えない。

 

 

 

 

私はそれでも、娘としての責務を果たそうとしたのだが。

母がモラハラにギブアップして、家を出ると母への当たりが全てわたしに来た。

父は私の旦那に弱い。

自分より金も地位も上回ったと感じた時期から弟にも面と向かって高位に立たなくなった。

社会的な地位のある義妹にも弱い。

 

だから、私だ。

言葉の暴力で痛めつけたあと、まるが一番可愛い❤️娘はいいな。

といい、私の罪悪感を引き出す。

父が定期的に何かやらかすたび、ねこむか、下手したら倒れてしまうわたしは父と距離をとった。

 

父は

人に尽くす人生をおくってきたのに、仕事仲間には裏切られ、家族には捨てられた。

とおもっているだろう。

 

こんなに傷つくよ、この言葉は。

という台詞を大人になった私は父に何度か言った。

お、そうか?お前は弱いな、こんなことくらいで傷つく方がダメなんだ。強くなれ。

父はそう言った。

なら、次はあなたが強くなってください。

と私は必死に一線を引いた。

下手をすると私は自分を壊してしまう。

私は私でこの道を行くことは強くいきるには必要なのだ。

 

 

父のようなかんがえを持つことは少なくとも福祉には向かない。

いや、そんな冷静な気持ちを持ちながら、寄り添おうと努力し、言葉を選び、距離感を間違わずに、タイミングを間違えない、そんなひとが福祉の人なのかもしれない。

 

どれだけたくさんの人を哀しませたのか、そんなことをおもったとき。

 

私は父が関わった多くの福祉施設に息子を通わせるのを諦めた。

罪な人だ。

そして、哀しい人だ。

 

逆に、とても信頼厚い福祉の人も身内にいる。

私たち家族の崩壊を見つめ、父にも私たちにも距離感を持ちながら必要なとき手をさしのべてくれる。

ありがたい人。

 

しかし、頼りすぎない。

 

身内にはあまり寄りかかってはいけない。

私はそうおもう。

身内だからこそ。

 

頼る福祉の人は家族とはなれたところにいるべきだとしみじみおもう。

だから、私と息子のshopもその意味ではあまり好ましくないと思う。

ただ、高校卒業の時はたくさんの選択肢の中からこれしかなかった。

この先は………

 

まだ人生は続くようだから来年も考えながら進みたい。

とりあえず、私の人生は中学生のあの時からもちゃんと終わらず続いている。

そして、哀しくはあったが父のせいだとは思わない私の人生は私のものだ。

私は私の意思で強く生きたいと思っている。

 

のですよ?

へなちょこなんだけど。

しょっちゅう泣いてますけどね😅

 

さあ!今日は水道管に断熱材まくとこから始めよう❤️

 

昨日は

チューバー イーツを作りました。(笑)


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