私は父を捨てた。
どう小綺麗に書いてみても事実父を捨てたのには変わりない。
だから、父の姉であるおばに
過去に何があっても父親は父親でしょ?
水に流して。
まるちゃんのことあんなに可愛がってたじゃない。
と何度も言われた事が胸に痛い。
罪悪感で押し潰されそうだ。
でも。
私は父を捨てた。
自分を守り、今の家族を守り、父と一緒になって傷つけてしまった母を最後くらい味方したいからだ。
私の心もそれまでに何度も折れていた
何度も家族を巻き込むお金の問題をおこしたこと。ポキン
祖母が自ら命をたった理由を中学生の私に押し付けたこと。ポキン
それが引き金でてんかん発作を起こした中学生の私にお前の人生終わったな。結婚も就職もまともに出来ない。といったこと。ポキン
色々あったが、確かに父は私を愛していた。
父は自分が一番の人で家族が手柄をあげると機嫌を悪くする人だった。
私たちはバカだバカだと言われながら生活し、父が白だと言えば黒も白だと頷かねばならなかった。その度パキパキと小さく心が音をたてた。
それに早々と
違う!お父さんは間違ってる
と声をあげた弟は父には嫌われていたし、そんな弟がよい大学にいき、よい就職をすると父は弟から距離をおき、弟の奥さんや孫にまで辛く当たった。ポキン
私はバカな振りがうまかった。
いや、バカだったんだ。
いつだって父が喜ぶように振る舞った
だから父は私を愛していた。
たまに手柄をあげると機嫌を悪くするから私はなるべくそれを隠したし、実際持病を得てから私はぐんと知能が落ちた。ポキン
出きることも減り、父には尚更かわいい娘になった。ポキン
孫は知的障害があり、肢体不自由で、父は心も痛めただろうが、喜んでもいたのを感じていた。ポキン
そして、ある日とうとう
お前バカやのう❗
と息子に言った。ポキン
それは少しずつ増えていき。ポキンポキン
私も母も父の地雷を踏まない程度に息子を引き離した。ポキンポキンポキン
そして、またある日、父は私に
お父さん、若いお姉ちゃんに入れあげて、かね使いまくってありゃ~バカなことしたわ。
といった。ポキンバキバキ
私達が食べるものに困り、友人がお菓子を買い食いする横で寺の手水場で水をがぶ飲みしながら、お腹空いてないから✨と強がり、
友人達がお揃いにしよう!という時予算が足りず、激安品をこっちがどうしても気に入ったから❗と強がり、
夜中電話口で泣く母を見ないふりして押し入れで震えたあの夜も。
そんなことに消えたお金のせいだったのだと知ったときすら何も責めず、
当時もただなんもわからないバカな子供を演じていた。
だから父は私を愛していた。
母が壊れてしまったとき。
私は母がどれだけ私たち以上に苦労して、私たちに愚痴も言わなかったのを思い出した。
それでも母が離脱してからも私は父を気にかけていた。
入院した病院にかけつけ、看護師が私を誉めると父は荒れた。
私が母の代わりの存在になりサンドバッグに変わった瞬間だった。
嫌み、無理難題、そして入院してる間に金盗むなよと。折れる心の骨も無くなった。
おばに
まるちゃんは
もう自分のことだけ❗
考えて生きてください。
と怒りに満ちた最後通牒が送られてきてもう何年だろうか。
心の骨は打ち砕かれても色々な事を思い出す年末は私を過去につれていく。
楽しいことも、苦しみも、悲しみも。
罪悪感と共に押し寄せる。
お父さん、
元気?
何か困ってない?
言えたらいいのに。
だけど。
多分、父のサンドバッグになる日々は私にはもう耐えきれない。
息子を育てていて想う。
父も何かしら発達障害があるのではないか。
ならば余計。
やっぱり私は父を捨てた。
もう、戻れない。
ごめんね。
お父さん。
そして、ずっと蔑ろにしてしまっていたお母さん。
私はお母さんの安らぎや、喜びを今から取り戻したい。