きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

道化師の夏

今日は架空の女の子の話を書こうと思う。

フィクションだ。

 

 

 

 

 

えりは五つ年下の弟の陸を抱き締めてまだ夜が明けきらない真っ暗闇の更に暗い子供部屋の押し入れの中に入り込み耳をすませていた。

少し前、目を覚ましたえりは戦慄した。

光が漏れる階段のその下からは途切れ途切れに母の嗚咽が聞こえてきたのだ。

なんで、 なんで、 ………なの。………また。

電話をしている母の尋常ならざる雰囲気に目を擦る弟をたたき起こし、押し入れに押し込め耳を塞ぐようにして抱き締める。

しぃんとした夜更け、階下の声はドア越しでも意外に響く。

朝早く、ノバトもいつもうるさいセミすらもまだ眠っている。

陸には聞かせてはいけない、そう思った。

なに?と目を擦る弟の温もりと鼓動が怖くもあり、心を奮い立たせる原動力にもなっていた。

何か悪いことが起きてる。

多分、たぶん、またお父さんがやらかした。

泣かないお母さんがなくなんてとてつもなく怖いことが始まろうとしているに違いない。

時おり聞こえる死というフレーズに

心臓が激しく音を立てる。

息が止まりそうだ。

えりはもうすぐ11才になる。

無邪気な子供を演じて見せながら、ずいぶん前からうちには

聞いてはいけないこと、

見てはいけないこと、

やってはいけないこと

がたくさんあるのをしっていた。

お母さんは何かにいつも耐えていて、それを見てお父さんが苛立つ。えりは道化師のような言動で空気を和らげる術を磨いてきた。

なかなかの腕前で、えりは可愛いなあ。とお父さんが声を和らげるとほっとして嬉しくなった。

チラリとお母さんをみるとたまになんだか可哀想な者を見るみたいな表情を見せたが、私は大人の癖にうまく立ち回らないお母さんがバカだと思っていたから少し腹が立った。

そして、うまくやったえりのそれをたまに台無しにする陸が苛立たしくて嫌いだった。

お姉ちゃんなんて損だ。

でも陸はまだ子供だから守らなきゃいけないってこともわかってた。

 

真夏の押し入れのなかは早朝とはいえ暑い。

体温の高い陸を抱き締める腕がじっとりとしめっぽく、息苦しかった。でもえりは鳥肌を立てなんどかふるえた。

 

がちゃり、

電話を切る音がしてえりは同時に何度目かの身震いをした。

 

どうすればいい。

 

頭が急にさえわたりフル回転を始める。

聞いていない、ねてたふりをするのが最適だろう。

でも腕の中の陸は不満げに大きな目でえりを睨み付けている。

今さらしらない顔で寝たふりをするのは、陸には無理だ。

お母さんが階段をすぐにものぼってくると思ったが、またがちゃりと受話器が持ち上げられた音がして母の声が聞こえ始めた。

強ばった全身から力が抜けた。

猶予が出来た。

さぁどうする。

 

どしたん、お姉ちゃん。

 

私の手を振り払い腕から抜け出した陸の声は、珍しく場の空気を読んで小さな声で、さっきまで睨んでいた大きな目に少しだけ不安が揺らいでみえた。

どうしようどうしよう。

 

 

えりの記憶の続きはそのあと、親戚のおじさんの家にとんでいる。

はりつめた真っ暗な空間から、一気にさんさんと光のさす和やかで優しい空間にかわる。

まるで映画の場面転回のようにその間のあれこれはすっぽりとない。

ご想像にお任せしますというご都合主義は現実にもあった。

いや、そのときは流石に覚えていたのだろうが短期間でぶっとぶくらい怖かったのかもしれない。

おじさんの家にいる間

陸も楽しげで、私はひたすら漫画を読みふけっていた。

 

 

 

なんで転校してきたの?

えりはちょっとかんがえてから、

お父さんの仕事の都合だよ。

その子は案外あっさりと。

なるほどね❗

とうなづいた。

 

その新しい親友の祥子ちゃんは

私はお父さんの転勤についていったよ。

お父さん外交官で暫くイギリスにいたの。

親の仕事で子供も大変だよね❤️

と。

えりは曖昧に笑った。

嘘つくってしんどいけど嘘つかなきゃいけないときもある、

それはいまだ。

と手をスカートのポケットのなかでにぎりしめた。

そして改めて思うのだ。

 

嘘でもないか?私ちゃんとしらないもの。

何が起きたのか。

子供は聞いちゃいけないって不公平だ。

お父さん、何やらかしたのかな?

とりあえず、お金がないみたいだ。

お父さんがなにかしたみたい。

かなりヤバイくらいないみたいだ。

 

 

まっいっか。

ここは気楽だ。

道化師にならなくていい。

お母さん。

笑えるんだね。

よかった。

私もね。

道化師にはなりたくないんだよ。

しんどいんだ。

 

 

一年後。

えりはまた道化師になり、母は笑わなくなった。

 

 

これはフィクション………