私の祖父母はかなり離れて暮らしていたが、義祖父母とからあげくんはほぼ同居していた。
田舎あるあるで、ひとつの敷地に何棟か家が建っていて、食事は一緒にとったり、洗濯や風呂が同じだったりするタイプの暮らしかたを私が一緒に暮らしていた初期はしていたのだ。
からあげくんは
四世代同居のなかで育ったといえる。
ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃん、ばあば、父、母、からあげくんという構成だ。
人間、歳を取るとあまり障害なんて気に無くなるのか
ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんはからあげくんを大事に可愛がってくれ、自慢してくれていた。
ひいおじいちゃん、実はかなり危ない状態がからあげくんが産まれて持ち直した。
すごく元気になった。
しゃべらない人が、しゃべらないからあげくんにたくさん話してくれた。
からあげくんはニコニコ笑って二人でベッドに転がりニヤニヤしていた。
からあげくんは不思議だが、よくひいおじいちゃんのことを覚えている。
息子は他のひ孫の誰より深く関わり、デイサービスでもアイドルだった。
歩けるようになり日も浅いのに、ひいおばあちゃんの荷物を運んで、引き返すと手を引いてくるまから家まで支える?
その後ろから送迎の介助員さんや、私がもしものためにこわごわついて歩く。
その様子を同じ送迎車に乗った利用者さんがきゃあきゃあ言いながら手を振るのだ。
息子はひいおばあちゃんをベッドまで送り、
今日はなにしたん?
みたいな話をしてから帰宅してきていた。
私はそんな時間を邪魔するような無粋はしなかった。
私がしたのは息子がいない時間にひいおばあちゃんを今時のカフェに連れていきお喋りして、一緒に買い物をしたり、一緒にひいおばあちゃんのお得意料理を教えて貰うような些細なことだけ。
ばあばの実の親で、ばあばは信じられないくらいマメに介護をして、からあげくんは最後までそれに付き合った。
私はというと。
恥ずかしいが、大したことはなにもしなかった。
病んでしまい自分の事がギリギリになってしまっていた。
っていうのはもう本当にいいわけにしかならない。
いいわけついでに、私はあるトラウマで墓参りが辛くて墓参りすらまともにしていない。
からあげくんは母の不甲斐なさを補うように墓参りをしてきてくれる。
私は申し訳ない。
と
この時期になるとひいおばあちゃんを思い出す。
優しい人だった。
最後にカフェにいき、お買い物をしたのがこの時期だった。
らっきょうを買い、教えて貰いらっきょうを初めて漬けた。
そのあとすぐ、転んで寝たきりになってしまった。
認知症になり、やっぱり私の事は一番最初に忘れちゃったんだけど。
からあげくんのことは長く覚えていた。
優しい景色をたくさん残して行った義祖父母との時間を初夏に思い出す。