きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

実家

実家があるってのは良いものだと思う。

 

私は、実家がいまない。

母が家を出て、私もその後父と縁を切った形になったからだ。

だから、母のすむ場所が実家もどきだ。

まだそこがあるのはありがたい。

 

そもそも、私のなかで実家は一番長く住んだ中学まで過ごしたもち家だった。

その後売却、転居を繰り返し、別居するまでに、またもち家に落ち着いた両親だが。

私にはゆかりの無い土地で、すんだことの無い家だからあまり落ち着く場所でもなかった。

 

それよりかは、関東にある祖父母の家の方が居住した時期もあったため親しみがあった。

そこも、祖父母がなくなり売却された。

 

それに比べとんかつくんの家はずっとずっと地元に根をはる一族だ。

私が嫁に来たときには近所はほぼ三代遡ると親戚だった。

似たような名字しかない。

広い敷地の家は漏れなく我が家の親戚だった。

畑や、もと畑の土地があるからだ。

 

先祖が何してたか?そんなの知らない!

 

というので多分、農業を営みながら永年この地にすんでいたのだと推測している。

 

 

少なくとも、義母ちゃんも、とんかつくんも、からあげくんも同じ小学校にかよい、三人で校歌を歌える。

 

義母ちゃんは生まれ、育ち、結婚。

同じ市内から出たこと無いらしい。

なんなら、町内から出たこと無いくらいでビックリだ。⬅️旅行は別

 

だから一族の絆も半端なく強くてまたまたびっくりした。

 

親戚は年に一度逢えたら僥倖。五年ぶりね、なんてざらだった私には毎日のようにやってきて食事までしていくなんて信じられなかった。

うちにからあげくんが来るまで私はほぼ毎日10人分の夕食を作っていた。

毎日が宴会だ。

 

からあげくんが生まれてもICUにいるうちは変わらなかったが、流石にその後は我が家に余裕がなくなりたまに❗になった。

 

そして義母ちゃんが本家にうつり。⬅️隣だが

そちらでしてくれるようになった。

 

いまやそれも幻だったような時代になった。

 

からあげくんがいつか施設にはいるとしても、私は、出来ればこの実家を守ってやりたい。

しかし田舎は如何せん、歳を取ると住みにくい。

同居、子供に面倒を見て貰うのが必須項目になる。

もしくは将来現役!

 

まず難しいので、ご近所も広い敷地の家が次々売却され細切れになり、新しい家が2.3件にかわる。

現在この段階が爆発的に周りで増えている。

我が家もいずれそうなる予定だ。

 

 

実家がある人は私たちの世代になると、実はかなり少ないのかもしれない。

若い世代でも

親しみのある土地、もしくは生家+親がいる

という実家はないのだろうし。

とんかつくんの家のような場所は少ないのだろう。

そしてそれがからあげくんで途切れると思ったときなんだか急に自分が罪深いような気になり。

 

おー!

これが日本の家制度の縛りで呪いだな。

と思った。

 

 

「嫁ぐ」

と言うのは今の時代にそぐわなくなってきたが。

日本という国がそうやって続いてきたせいなのか呪いはまだふんわりと私のDNAにからみついているようだ。

ホラーだ。

 


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