きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

お金がないこと

私は幼い頃、そこそこお金がなかった。

今思えば、色々な場面であれは教育方針ではなくお金なかったんだな。

と思う。

 

私は教育方針だと信じていたから諦めていたけど、今思うとちょっとだけ寂しい気分になる。

今や、子の気持ちではなく親視点でそう思うのだ。

 

例えば、

買い食い禁止

なので、友人が駄菓子屋でおやつを買っていても私はお腹がすいていないからと、お寺の手水場でひしゃくに水をくみ飲んで空腹を満たした。

少し大きくなり皆がマックに入ったとき、さすがに食べないわけにはいかなくて一番安いバーガー単品を罪悪感と水とで一緒に飲み込んだ。味はしなかった。


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洋服はお下がりか手作り

たまたま買い物に行き安売りワゴンで新品のトレーナーを買って貰って嬉しくて友人と遊ぶ時にきていたら、友人のパジャマがそれより高い吊るしで売ってたトレーナーだった。

友人がブランドに興味を持ち始めた頃私が着ていたのは自分が端切れで作ったスカートだった

 

おやつも、服も手作りが多く、稀にそれを

すごい😆⤴️うらやましい☺️

と言ってくれる友人もいたが私は嫌でたまらず、自分でアルバイトをし始めると数年は買い食いして、洋服を買い漁った。

 

知らなかったが、まだまだその頃我が家はそれほど平穏ではなかった。

 

だから、分かるようになった頃から私はお金を使うことが怖かった。

そして、染みついた経済観念であまり散財せずに生きていけた。

 

息子には、世間一般水準のお金をかけてきたが、幼い頃から稼げるようにはならないだろうと思っていたので、少しずつセーブをかけてきた。

与えられる余裕があるのに買ってやらなかった。

というのが正しいかもしれない。

息子は現在それなりに生活している。

お金があまり無いことは哀しみもあるがそれだけで不幸にはならない。

あるもので自分をどう喜ばせられるかを私は無い生活でそれなりに学んだ。

 

しかしあまりにも無い❗生活は母をかなり苦労させたのは事実。

 

私はマックが美味しいね❤️と言いながら罪悪感無くたべられて。

家族でポテト余っちゃったね。持って帰って食べよう😃と捨てることに罪悪感を持つ。

 

というくらいの今を幸せに思う。

 

外食に罪悪感を覚えず楽しめ、残したポテトをゴミ箱に捨てて平気ではない価値観は幸せなことだ🍀

と私は信じる。

 

お金を使う事への罪悪感を消してくれたとんかつくん

お金を大事に使う事を教えてくれた母

に感謝したい。

 

女性やギャンブルやお酒にお金をつぎこんで、家族道連れで死のうとされた父には育ててもらったとはいえ、

ちょっと共感は出来ない。

 

そして、おかねがかなり無いというのは命に関わるので怖い😢

 

 

そして、付け足すと、コロナ禍のいまは家族であれちょっとちょうだい、とかお残しを食べとくね❤️

はしないようにしている。

勿体ないと思いながら、誰が感染しているか分からない今、これは大事だ。

本当は、かなり罪悪感を感じながら捨てている。😢😢😢