中学。
教育委員会に安定の肢体不自由支援学校を勧められました。
次点はなし。
もう、一択のみです‼️
しかし、小学校入学時点より更に体調が悪い私には送迎ができない。
寄宿舎も思いきれない。
だって、中身は小学生低学年か保育園児かって感じです。
私と旦那は知的、発達の方が気になり出した息子には知的の支援学校が勧められ、ぴったりだと思っていたので、あまりにも拒否られるのがよくわからなかった。
小学生の入学のときは誘われたのですよ。
それだけ動けたらうちにこられるよ❤️おいで!
と。
だから、粘れば行けるし、入ればやっていけると思っていたんですが。
魔の手は伸びてきたのです。
就学相談で。
もちろん、旦那と二人で面談受けるつもりでしたが、まさかの息子も参加するように言われました。
そして、息子の前で、心臓はこのごどうなりますか?とか聞かれます。
青春を謳歌して下さいといわれています。
その後は?
やはり、中年期にはかなりしんどくなるそうです。
なぜ送迎ができないのか、お母さんはなぜそんなに調子悪いのか、少しくらい頑張れないのか、なら送迎バスにのれるひだけ登校したらどうですか?週に半分は行けるはず❗
そして、知的の支援学校の見学で車イスの息子にムカデ競走をする子達を見せていうのです。
あなたもここに入ったらあれをできますか?
朝は、グラウンドをランニングすることになってます。
あなたは毎日何周走れる?
あなたには学校を自分で選ぶ権利があるのを知っていますか?
これ、教師の台詞です。
車イスで歯がゆい思いをして、自分がいつ死ぬのか怯え、しかし、病気の母を殴りながらも薬飲んだか?と労るような、いじめられているというと母さん泣かせると黙ってるこにいった台詞です。
わたしたちは、毎日通えなくても、最悪引っ越してもこの支援学校には通えないと思いました。
そうすると、内密にスクールバスに毎日乗せる確約をとるから、それなら肢体不自由支援学校に行くか?と言われて
もちろん‼️
と。
いいました。
辛かった。
少し落ち着いていた息子がまた少し気持ちがぐらぐらし始めるくらいに息子もかなり辛かった。
最低の就学相談でしたが、それでも小学校のときより丁寧でした。
父がいるというだけでなぜ?
びっくりです。
そして、
リアルに見聞きした旦那は私より怒っていました。
初体験ですしね😢
それ以来、学校面談にはできる限りの同席をしてくれました。
わたしがどんなに辛かったか、本当にそんなひどいこというのか?がまさに本当に起きる驚き。
信じてる❗といってくれてはいましたが、妻越しに聞くのと、泣きそうな息子の顔を見ながら聞くのでは違いすぎます。
あそこの学校は行かせれんと思った❗
と。
しかし、なぜ。
今ならわかる気がします。
入学希望者がかなりいたのでしょう。
近年発達障がいを診断されて、支援学校を希望するこがたくさんいたから、息子の分の枠をあけて他の子を入れたかった。
けど、心の傷は消えないんだよね。
辛かった‼️
肢体不自由支援学校は最高だった。
もう、小学校から無理して通う価値は確かにあった。
しかし、現実が許さなかったから仕方ないんだけど。
けど、なにかを犠牲にしてここで小学校の半分でも過ごしたら。わたしたちは、暗黒時代を早く抜け出せたかもしれません。
肢体不自由支援学校は生徒数よりたくさんの先生がいます。
なぜなら移動で車イスを押すだけでも一人に一人いるのです。
世界観が変わりました。
しかし、息子は中学一年のとしも荒れていました。
中学校生活についてはまた次のお話で。
支援学校に入ったとき、支援学校に先に来ていた友人に言われたことがあります。
支援学校に入って何が良かったって。
私がすごく楽になった。
幸せになった。
普通校辛かった~⤵️
同感。