きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

施設、入院、寄宿舎

からあげくんは、中学二年から高校三年まで月曜日から金曜日まで寄宿舎にいた。

学校が遠いこともあったが、荒れに荒れ精神的に薬を飲ませるか、環境を変えるかした方がいいと言われたのだ。

 

発達障がいのあるからあげくんだが、私は幼児期に十分な療育ができていなかった。

入院が多く、療育は何度も休んだ。

しっかり母子通園できたのは一年かせいぜい一年半だったと思う。

足のリハビリや摂食指導、言語訓練、やることがありすぎて、その割に体力がないからだ。

あまり他害、自傷がなく、パニックになっても体力無さすぎで限界もあった。

だから、まぁ後回しになっていた。

からあげくん同様、思春期あたりに奇声やパニックがいきなり強くなっている友人もいたから、お年頃や、色々なストレス、気づきも関係したのかもしれない。

何しろ、私が時に命の危険を感じることもありようやく精神科を受診したのだ。

そして決断した。

 

学校が遠方である事や、寄宿舎や入院設備が完備されていること。あと、将来施設やグループホーム等に入る時に経験があればハードルが下がるかと思ったりもした。

入院ではなく、寄宿舎に入れるというのでそちらを選んだ。

 

結果として、良かった。

小学校1年生から高校3年生までいる空間は、兄弟のいない息子には新鮮で兄弟の擬似体験ができて、通学の時間がなくなったので部活も出来た。

色々な体験は息子を変えたし、精神的に落ち着き、気持ちのコントロールはその時期に出会ったカウンセラーの資格のある先生の支えでゆっくりだが進んだ。

私は息子を抱え込みすぎていた。

息子は寄宿舎の先生、学校の先生、先輩、後輩にそれぞれたくさん私からは得られないものを得た。

もちろん辛い体験もあっただろう。

体調が悪いときに側に親がいないのはまだまだ辛かったはずだ。

おやつもテレビも好きに見られない。

自由は格段に少なかった。

でも、良かった。

 

そこで、色々考えた。

子供を自分の手元から離す。

ということについてだ。

 

 

長くなるので分けて書きたい。

とりあえず今日はここまで。


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