きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

生きる場所を選ぶ。児童編。小学校

暗黒時代。

 

楽しいことなどほんとうにすこしで、私も息子もこの時期のことはなるべく思い出したくない。

私は療育の時、そしてこの時期に衝動的に死を選びそうになった。

 

息子は荒れに荒れて、私に暴力をふるい、その後後悔するように自分を傷つけて。

二人ともアザだらけ。

私はいつかこの子に殺されると思ったし。

殺人者になる息子、殺された妻、残される旦那と想像するといっそ息子と心中するか、もしくは私が死んでいなくなれば少なくとも犯罪者は出さなくてすむ。

とか思っていた。

刃物を実際、身体に押し当てたこともある。

ギリギリのぎり。

 

だけど私はいつも

おはようございま~す☺️

と息子を学校につれていき、訓練にもいき、家で殴られ、噛みつかれ、それでも

お帰りなさい😆✨🏠️

とごはんと笑顔で旦那を迎えていた。

 

はずだったが。

旦那が、心療内科を予約してきた。

ああ、あれは、私がカッターを振り回し、羽根枕の羽根だらけの部屋でないた後だったからだろうか。

じつはもう、私はその頃の事があまりおもいだせない。

息子は中学生になってもおちつかず、寄宿舎にいくことになったのだがそれはまたつぎの話で。

 

とにかく。

明るい家庭に見えていたがひどかった。

 

そして、息子はたぶんたくさんからかわれ、無視され、いじめにもあっていたと思う。

私の視界に入るだけでも、息子は無視されていたし、ずいぶんとししたのこにからかわれていた。

そして、交流学級の先生まで息子をないがしろにする態度が親の前ですら見えた。

親の目がない場所でどうかなど想像すると怖い。

そして、息子は変におどけたり、笑ってごまかしたり、諦めが早くなった。

そして、私には弱味を見せなくなっていった。

 

とっとと逃げ出せば良かった。

 

今ならおもう。

 

 

そして。

書けない。

これほどまでに書けないとはおもわなかった。

 

 

六年間がこれだけ。

しかし、目眩がしてきた。

だから。

これでおしまい。

 

本当はみんなにアドバイスになることも書きたかったけど無理みたい。

 

とりあえず。

小学校は長い。

ダメだとおもったら逃げよう。

 

死にそうになるまでいるべきではない。


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