きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

その時にはその時にしかできない決断がある。

人生には何度も決断し道を選ばなければならない 時 がある。

直感で選ぶ人

考え抜いて選ぶ人

色々あるだろうけど。

 

選んだ道は変えることはできない。

稀に、もう一度同じ選択肢で悩む機会が巡ってくることもあるのが面白くもあり、辛くもある。

 

私は必死に考え抜き選ぶ人。

とんかつくんはどうだろう?

直感で選ぶタイプのように見えて、実はかなり熟考されていると感じることもある。

 

 

私たち夫婦が今までで一番過酷だった選択は

 

からあげくんを

 

ひとつき確実に生かすか。

それとも

生存率三割の可能性にかけて手術をするか。

 

だった。

 

前者を選べばからあげくんの苦しみを極限まで減らしながら、緩慢な死まで、ひとつき程度優しい時間が与えられた。

とはいえ、それはあらゆる機械に繋がれたICUという場所でだ。

 

 

後者を選ぶと、数日後からあげくんは手術室から命を失って戻ってくるか、良くても過酷な人生が始まる。実際に現在も健康に生まれた人の何倍も苦労がある、苦しみも、悩みもあるだろう。

 

 

それをできたら今決めて欲しいといわれた。

 

 

私たちは呼吸器に繋がれた子供だらけの空間でそれを決めた。

じつは、私は。

ダメなら仕方ない。

むしろその方が楽なのかもしれない。

と思っていた。

 

その時 

私は

わからなかったのだ。

何がよくて何が悪いのか。

何が幸せで、何が不幸なのか。

生き残れた先にどんな未来があるのかも。

 

 

 

手術を決めたのは

生き残れるという確信でもなく、

生きて❗という切望でもなく。

医者の助けたいという熱意だったとおもう。

そして、何もかも運に丸投げした。

 

 

わからない

という気持ちがその時の私の持てる全てを使った回答であり

それで仕方ないとわかるようになった時

が今。

しっかり色々なものと向き合いからあげくんの最大の幸せを考えて決断できたわけではない。

しかしそれも仕方なかった、私はまだ親になった経験がなかったのだから。

 

 

 

どちらを選ぶのも間違いではない。

誰がなにをいう権利も無いし、

いわれる筋合いもない

今の私はそう思う。

 

息子が助かり、少し見通しがついたとき。

手術を選ばない親へ

何で?

と思っていた。

 

それは我が子が助かったからだ。

生きて帰ってこられなかったら私はからあげくんの生きる時間を縮め苦しめる決断を悔いたはずだ。

 

あの時私は考えるのを放棄したではないか。

 

私はなんて傲慢で厚顔無恥だったのだろう。

 

今という時

は生きてきた一瞬一瞬が積み重なり、色々な経験や気持ちが堆積してできたものだ。

私はこの先も沢山の決断を迫られるのだろうが、

その時

に私の魂が決めたならそれは私の全てをかけた決断で間違いではない。

はずだ。

 

 

 

というわけで、

今回、私にはこの決断しかできない。

だから。

決めた。

この決断で行くのが最善だ。

 

また違う時に決断の時期

が来て、その時の私が今の決断に違和感を感じたら決断を変えたらいいだけの話。

自分の経験に合わせた決断があり、

その時の自分に合わせた決断がある。

 

どんな決断もその時の自分には精一杯の決断であるはず。

なにを決めたかはちょっと言えないけど。

きっと世の中の半分の人は私を酷いと言うであろうことだ。

でも、それはきっと私の寿命は延ばす。

 


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