升にガラスの酒器。
ガラスの酒器から溢れたお酒が升にも。
なんとも贅沢な時間。
升に溢れたお酒は幸せ。
心地よい酔いと共に幸せな想い出をふりかえれたら良いのだけれど。
私は過去より幸せな今を噛みしめ酒を飲む。
あまり身体に良くないから、気分転換にほんの少しだけ飲む。
思い出すことをやめようとしていたが。
私は
哀しみや苦しみを
ガラスの器からあふれでてもまだいける‼️
うんうん❗まだ頑張れるわ。
いや、がんばらなきゃ親失格だもんね。
と升のふちからまで
溢してしまいそうになった経験がある。
とんかつくんが
病院にいこう。
と言ってくれなかったら取り返しがつかなかったかもしれない。
本人はグラスから溢れるのに案外と気がつかないもんだと体験するとわかる。
アドレナリンでも出てるんだろうか?
もう、必死も必死で自分の限界なんて全く見えなくなる。
さすがに升まで溢れそうになる頃には身体がまず悲鳴を上げる。
倒れる、表情筋が動かなくなる、嘔吐を繰り返す。
でもおかしいとおもわなくなってる時点で周りからみたらおかしいのだが、本人は大真面目に疲れてるだけ💕
くらいな気持ちでオーバーワークを続けるのだ。
心や身体の限界より母性が勝つのか、生命維持機能で火事場のバカ力的なものが発揮されるのか私は黙々とこなし続けていた。
よって。
ぼろぼろになりすぎたのだろうか?
もう長く心療内科に通っているがなおる感じがない。
むしろ先日また薬が増えた。
そして、薬が増えたら滑りまくっていた文字が少し頭に入りだした。
あぁ、ようやくこの薬の量で私は普通レベルに近づきつつあるのだな。
と思った。
これを減らしていくのは無理じゃないかな?
とも思う。
仕事が原因なら仕事をやめたら治るかもしれないが。
そんなもんじゃない。
まっ、いっかー。
薬のんで普通の生活できるなら上々ですよ。
酒の溢れるのはみえるが。
苦しみが溢れるのは見えない。
とんかつくんに感謝したい。
クッションにカッターを滅多刺しにしながらもとんかつくんにSOSの電話ができたのは奇跡的だったと思う。
実はあまり記憶に無い。
泣きながらカッターナイフをぼろぼろのクッションに突き立てる私の元にとんかつくんが帰ってきたとき、私に傷があったのか、
それともたえきれていたのか。
私はよく覚えていない。
気がついたとき、とんかつくんが私を抱き締めて背中を擦っていた。
ゼェゼェと荒い息を吐くとんかつくんの鼓動はなぜか覚えている。
そんな狂気がまた襲ってくるのかと思うと私は薬をずっと飲み続け、内蔵を傷めるほうがましだと思う。
責任を放棄して自分だけが狂気の裂け目深く落ちていくならまだ良い。
責任を放棄しきれず息子を一緒に連れていくのではないか。
記憶が曖昧であまり覚えていないから私は怖い。
あの日、あの時。
息子はどうしていたのだろうか?
まるで記憶に無いのが恐ろしい。
苦しみや哀しみは
いきる糧になることがあり
それはどす黒いヘドロのようなものじゃないのだと思う。
キラキラ光るお酒とそんなに変わったものじゃないのかもしれない。
書くこと、話すことで
ちびちびなめるように哀しみを減らして
せめて升に溢れた分をグラスに全部移してしまうくらいになればいいな。
とそう思う。
時は優しい。
思い出すことは年々少なくなった。
そして、これは思い出すのは良くないと体感した。
昨晩は何度も夜中に吐いた。
思い出すことを身体も心も拒否しているみたい。
だから、とんかつくんは。
この暗黒時代のふりかえりを私がするのを嫌がる。
振り返れる記憶とやめた方がいい記憶、整理するためにも書いているのだけど。
これは振り返るのは今日がおしまい。
優しい時の流れのなかで記憶の海の奥深くにゆらゆらと沈んでいきますように。
さようなら、あの日の私。