きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

日記を書かない

私は読むことも書くことも大好きでした。

 

パニック障害になるまでは。

 

 

読むこと、かくことで精神のバランスをとる人間がそれが出来なくなると。

悲惨でした。

活字マニアなら分かると思う。

 

 

しかし、それに依存しすぎて文字の世界に逃避し続けるのは良くないと、いまは離れた方がいいのだと自らなるべく離れていた時期がありました。

 

 

未だに読むことはあまり回復しませんし。

書くこともずいぶん減っています。

 

 

私の書くことは自分の出来ること以上を引き出そうとするものでした。

ただ書くだけでなく。

日記や家計簿、育児記録のようなものを書くとそこからの考察やステップアップ、成果を出す❗

ダメな自分のリストアップ

成果のグラフ化

成長のためのto doリスト

 

 

 

 

ということまでやろうとするため成果がでないときには追い詰められるのです。

そして、そこを改善するために関連書籍を探し、読み、新たなことに着手。

 

しなきゃならない‼️

が増え続けパンク。

 

特に障害児子育てにこれはいただけないやりかたです。

障害児子育ては健常者に近づけるということではないのですが、成果をあげるを考えたときつい普通を目指してしまう。

 

そして。

いわゆるベスト、最善は子供により違うし。

すむ場所や家族構成、家族の大切にするものによりベストに近いベターで折り合いをつけるのが良いのです。

周りが言いというもの全てを取り入れるのも無理で、取り入れないからダメではない。

 

生活の場を見ている人、

教育の場を見ている人、

体調を見ている人、

将来を見ている人。

食を見ている人、

言葉を見ている人、

からだの動きを見ている人。

 

子供に関わってくれるプロはその立場でベストを勧めてきますが。

全てを見ているのは親で。

いくらプロフェッショナルないけんでも、一部しか見ていない意見を全て取り入れるとどこかで無理がきて破綻するのです。

親は総合プロデューサーなのです。

 

例えば。

 

数の認知を食の機会に取り入れると、

ただでさえ食べることがしんどい子供がますます食べなくなる。

訓練を増やすと身体の動きは良くなるかもしれないが、体調を崩したり、知的活動を行う時間がなくなる。

療育や治療的な物に時間を割きすぎるとメンタルが疲れ、問題行動が増える。

それだけ子供に関わりながらも家事をこなし、行事を欠かさない、イベントに全力を注ぐ。

⬆️自分のからだがぼろぼろ

みたいな。

 

 

私は、あまりに書いて、失敗や悲しみをリピートすることで

二度と繰り返さない❗

と個別な課題や改善を個別に真摯に追求したため全てを俯瞰的に見られず自分が破綻しました。

書くのが下手だったのと、思考が下手だった。

完璧を求めすぎた。

 

そして何より、障害児、病児を育てるのに悲しみや絶望はつきもので、それを書き留めて何度も振り返る作業はあまりにもキツかった。

 

 

とりあえず書くことを手離し、振り返りを減らすことで失敗や出来ない事を必要以上に記憶にとどめないのが私にはうまくいき暗黒から抜け出せました。

なんでもほどほど。

だから、私は日記をやめました。

今書いているのは自分的には日記ではありません。

今、刹那的に浮かんだことばかりです。

そして、いまの振り返りは

振り返るが改善点やダメなところを認識するではなく、

つらかったね、私よく頑張ったよ。あれ以上はできなかった❗

と自分を認める作業です。

だってもうあの時期はやり直せないと割りきったから。

 

 

だから基本今も振り返りを読まないことにしています。

また考察しないために。

もちろん書くことで俯瞰的思考に至れる人もいます。

私にはそれができなかった。

重箱の隅をつつくと言うとまたちがうか。

部分、部分を緻密にデッサンしたバランスが悪く画角におさまりきらなくなった残念な絵が私の育児かなーと。

 

書き飛ばす。

これ大事だと、いまおもうのです。

 

 

あれ?

前いってることと違うって思われたら。

きっと私の今が柔軟に変化したのだと❤️

 

理詰めで生きない。

私の目標。

 

とか言いながら理屈っぽい分を書いてる私はまだまだです。


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