きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

おじの葬儀と母との喧嘩1

先日、おじが亡くなった。

母の妹の旦那様だ。

遠方の葬儀に一人で向かうという母に、無理矢理ついていった。

高齢の母が心配だったからだ。

 

ごくごく普通の感情で、母のためより私の安心のためだったかもしれない。

もちろん障害者の息子がいる、旦那にはかなり世話をかけた。

けれども行けて、お別れできて、おばや従兄弟に何年ぶりかに会えたのは良かった。

直ぐに良いよと言ってくれた旦那には感謝をしている。

 

私はこの葬儀で思いもよらないくらい心が揺さぶられた。

骨を拾いながら子を思った。

先に逝く、私が多分みおくると覚悟していた息子の葬儀が色をつけて私の心に食い込んできた。

 

私は正気を保ちみおくれるのか、骨を拾い上げられるのか。

涙がでてきた。

 

覚悟なんて生まれたときにしたはずだったのに。

 

そして母につい、怖いといって涙を少し見せてしまった。

母は

まだ先の話だよ。

といって私の前をスッと歩いていった。

母も泣いていたのかな?

なら…

でも手も握ってくれないんだな。

私はどこか寂しく思いながら、亡くなったおじに失礼な行為だと諌めているのかもしれないと涙を拭い背筋を伸ばして母のあとを追った。

 

 

葬儀は別にして。

母はいつみるより生き生きしていた。

きょうだいと話し、懐かしい土地を歩く母はいつもよりずっと若く、私が会いに行くときの何倍もにこやかだった。

けれど、懐かしい土地を遠ざかるにつれ背が曲がり、歩くスピードが急激に落ちた。

ああ、寂しいのだな。

と思った。

母はなぜ父と離れたあと戻る事を考えなかったのだろうか。作り上げた人間関係もまた懐かしい地で作れなかったのか?

と思ったりしたが、その年齢にならないと分からない気持ちもある。

またついてきてあげたい、滞在中も移動中も時折いったが困ったような嫌そうな顔をされた。

そうか、母が戻りたいのは私がいなかった時代のあの場所なのかも知れないとこの数日で感じた。

 

母との生まれて初めてのまともな喧嘩で。

 

帰宅後、亡くなったおじや、年老いた母の弟であるおじを見て私は不安になった。

父も近いのかもしれないと。

 

残念ながら父が居なくなるのが不安なんじゃない。

それにまつわる葬儀や集まる親戚、また、それ以前に介護は、看取りはと。

そんなことが不安になった。

 

続く。