きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

実家がない

私には実家がない。

母が家を出て、暫くして父とも縁を切った形になりから本当に無くなったが、その前からそこを実家だと言う認識は薄かった。

というのも。

私が暮らした家からなんどか転居を繰り返して、私自身にはなんのゆかりもない場所が実家という場所になっていたからだ。

昔通ったお寺も、神社も、スーパーも、駅も、学校も遠く遠くはなれた場所が実家になっていた。

トイレも、いくと泊めてもらう部屋の天井も他人様のうちだった。

実家にいけば、会いに行ける旧友もいないし、懐かしい風景もない。

転勤を繰り返す人も同じ気持ちをもっているかもしれないが根なし草のような気分だ。

唯一、馴染みが深く私の拠り所だった祖父母の家も無くなった。

おじや、おばはいるがなかなかいけない場所になって寂しい。

今の我が家以外にも自分の居場所があるのはこんなにも愛おしいことなんだとたまに思う。

なん世代にもわたり、同じ場所にすみ、同じ学校に通い、身内がほとんど同じ市内にいて、数世代遡るとご近所さんが親戚に繋がり、未だに小学校の同級生とばったり出会う。

旦那や義母は気がついていないと思うがこれはとてもすごいことだ。

息子は中学生で地元を離れ高校卒業で帰ってきた。

嬉しい。しばらく、出来たら長い間家に居たい。

と言う気持ち。

私はよくわかる。

ただ、場所は同じでも、息子が寄宿舎にいるときリノベーションをしたため、息子もちょっと寂しかったかな?

 

 

実家ってのは住みにくくても、ぼろでも、自分が時を重ねた記憶を含めての価値がある。そんなきがする。