きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

先の見通し。

コロナ禍。

 

長引いてきたので、皆様一様に

先が見えない!

先が見えないから怖い!

辛い!

 

と。

 

うん、同じ。

コロナに関しては私も同じ意見。

 

ですが。

先は見えないが、終わりはあるんじゃないかな?

というちょっとした光は見えるでしょ?

 

 

しかーし!

障害児の子育ては先が見えんし、終わりがないと思う。

自分が死んだら終わるけど、

死んでも死にきれなくて、地縛霊?違うか?なんか魂が残るような気がする。

 

本人の人生は困難かもしれないが、彼は彼なりに幸せを探して生を謳歌するのではないかと思っている。

 

でも、困難はより困難に、幸せは縮小する先しか見えない気がして。

親の気持ちは重たいだろうけどこれが本心。

魂残るとかいいつつ、死んだらもう手も足も出せないから残してどうなるもんでもないのがまたまたかなしい。

ゾンビになって役所の手続きとかしてやりたい❗

 

 

と、哀しみを綴れるうちはまだ健全だ。

哀しみをこえ、心配をこえると。

闇がある。

その深淵の縁をチラリとみてしまったから。

 

 

だから子供を愛せないと思い、

そんな自分に絶望し、

もう自分をおしまいにしたい。

 

という想いに駆られる。

その闇はすぐそこにあり特別ではないと知っている。

その人が非情なわけではなく、愛が溢れすぎるからそうなるのだ。

と私は思う。

 

 

先が見えない暗闇で何が運命を分けるか。

些細な愛ある言葉だったり、手の温もりだったり。

小さな楽しみや喜び。

心を温めるちょっとしたこと。

そんなものが、奇跡的にそこに出現して気がつけるか。

 

 

愛は時に品切になるが、心を温めるなにかでまた生産され満たされ、ぬかるみでも立ち上がれる力になる。

 

逆もある。

だめおしのナイフのひとつき。

 

人は人に生かされて、

愛は愛で作られる。

 

 

暗闇をどうやって抜け出すか。

それだけはまだきちんとした答えを見つけられない。

だから私はたまに暗闇で迷子になる。

 

 

 

コロナ禍。

暗闇で叫ぶ人が増えたなか、

本当に光となりうるのは何なのか。

 

 

闇歴長い私は、そう簡単にみつかるもんじゃない。

と思っている。

 

だからあがいて、あがいて。

とりあえず、今日生き残る。

これが大事だ。

 


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この派手な作品は息子の中学年の時の作品だ。

先日作品名を書いた紙切れを見つけた。

夕焼けの夜だった。

夜ですら彼の世界はこんなにも明るい❗

大丈夫だ。

なんだかそんな気持ちになる。