きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

タイミングと必要性は個人差があっていい

息子は今、訪問リハビリと訪問介護を使っている。

コロナ禍前は、行動支援を使っていた。

ショートステイを使えるようにしておくといざというとき便利かな?と思うし、

施設の入所リストに名前をいれて貰うのも必要かもしれないとかも思う。

 

昔、息子がまだ小学生の頃からすごくたくさんの支援を活用している方がいてものすごく物知りだし活動的で、さきのさきをみて動いていた。

 

私はすごいと思いながら動けなかったクチだ。

 

生活がそれなりに回っていたし、未来のもしものために今が消費されるのもしんどかった。

 

友人がどんどん空に帰っていくのを見送る時期で、何もない何気ない日常の家庭生活が大事だったのだ。

 

あと、ほぼ同居な感じの義母がナーバスだった。私よりずーっと過保護で私はいつも鬼母。

可哀想、可哀想。

まだ早い。

と言われるのをバッサバッサと振り切っていた時期でスタミナもなかった。

 

今は、というと。

またまた同じきもち。

肝硬変が肝がんに変わるのを見逃さないために半年に一度エコーをしてるのもあるし、

 

施設より自宅でどうにかしのげないかと希望が捨てられない。

 

冷たく聞こえるかもしれないが、

義母をギリギリまで自宅で見ることになりそうなのに、

子供を先に施設にいれるのがなんか納得行かない。

 

 

だから、来年も息子を自宅に残してとんかつくんと二人旅?に出るつもりだ。

何かあれば飛んで帰れる距離がいいな。

と思ってみたり、本人あきらめて自力でどうにかできるように遠くに行こうかと思ったり。

とにかく息子を一人で生活させる練習を重ねるほうが施設のリストに名前いれるより先にしたい。

両方するとね、

なんだか気持ちが弱くなるの。

どうせいつか施設だよね。

と息子が感じたらアウトだと思う。

 

たくさんの方が

頑張ってバリバリ福祉を使い、療育をしてる友人をみて自己嫌悪に陥ってる人もたくさんいると思うけど。

 

私は

家庭により、母の希望、子の特性、目指す未来

の違いで緩い生活をするのを悪だと思わない。

 

福祉は変わる、子も変わる、親も変わる。

本当に切実に今だ、と思うときに動けばいいと思う。

 

甘いか?

 

でも、どうにかなってきたからさ。

少し自分を責めずにいるのも大事かな?

と思うのですよ。