きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

私には友?がいた。

友と言うカテゴリーは難しい。

正直私はだんだんわからなくなる。

 

 

知り合いと友は違う。

しかし、友よりある時自分を支えてくれたり、鼓舞させてくれたり、安らぎをくれる知り合いも、他人もいるのが大人になるにつれてわかり始めた。

 

私には少ないながらに友がいたが、息子の誕生や自分の病気で疎遠になり。

私のなかで友と呼べる関係の立ち位置にいる人は本当に少ない。

リアルに会ったり、話したりできる人は更に少ない。

 

それがたまらなくかなしい時期もあったけど。

今はそれもまあいいかな。

と思って友達がいない私を受け入れていたんだけど。

不思議な話で。

最近、私がMAXに弱っていると会ったこともないような人が無償の優しさで励ましてくれるのだ。

ありがたい。

本当にありがたい。

 

精密に言うと友達ではないのかもしれないけど。

 

私の剥がれていく生命力やら、気力やら、そんなものを張り子の下地を作るように丁寧に丁寧に戻して張り付けて手のひらで優しく撫でて、大丈夫、大丈夫と言ってくれる。

床にたおれこんだとき、立ち上がらなくていいから座ってな、といってまた倒れそうな背中を支えながら背をさすってくれる。

 

ありがたいな。

 

本当にありがとう。

 

友達がいるよ!

と言ってたときよりなんだかこんな優しさにたくさん包まれている気がする。

 

私も友と呼べないかもしれない人が苦しいときに、そんなことができる知り合いの他人でいたい。

刹那で関係が終わってもいい。

見返りも要らない。

 

友と呼ばれないことが悲しいと思った時代もあったけど、

友と呼ばないような人にも友と同じくらい優しい人に助けられながら、

友ではないけど、の良さがわかり始めたのは私の宝。

 

友達も本当は欲しいけど。

贅沢は言うまい。私はいま恵まれている。


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たぶん今季最後のイチゴ(笑)