きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

親より先に逝くこと

私は、事故だと信じたい。

違ったとしても、もうそんなことは私たちがいわなくても良いし、会見なんかさせなくて良いのにと気の毒でたまらない。

 

そして視覚で確認してしまうと。

 

 

自分がああなること

を望んでいる自分が何処かにいる怖さを知る。

 

息子を看取ってから、逝こう。

ってのは、ああ言うことだ。

多分そうなるんだろう。

もしかしたら違うかも。

の今は狭間。

 

出来るなら看取って

 

とか思っている自分が怖いし、

あんなにかなしい未来が怖いし、

体調も悪くなる。

 

 

状況は違っても、結果は同じ。

哀しみは同じに深いはずなのに。

私は置いていくのはもっと怖いと少し感じちゃってね。

 

しかも、産まれてこのかた。

ずっとそう感じながら今がある。

狂ってるな。

とあの映像を見て思った。

あんな哀しみを望む私は狂っているし。

そう思わせる社会も狂っている。

 

あんなに哀しい。

あんなにつらいお二人を見るのは胸が痛んだ。

ご冥福をお祈りし、どうかお二人が静かに過ごす時間をと願います。

続報はいりませんから、マスコミ様。

 

 

そして、親なきあとの本を取り寄せたのにページをめくれないのは根元に子供なきあとを考える自分が強くあることが原因で。

何にしても考えなきゃならないが今は無理だな。

って。

ベッドサイドの本を本棚の奥にしまいこんだ。

あと少し、あと少しだけしたら読んで残していく未来もあると考えて動こうと思う。


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