一年以上かけて手続きしていた息子の障がい者年金が認められました。😭😭😭
障がいの詳細は書くのはやめとこう。
一度かいて、哀しみに筆が止まり消した。
重複がありなにかでなにかを補えない。
それが息子だ。
例えば、知的があるがからだ丈夫❗とか
肢体不自由があるが知能明晰とか。
そういうのが望めない。
うわあ大変ですね。
と決定した関係者がかんじ、
そして、回復の見込みはないから診断書の定期的な提出もしなくて良い。
と決定された。
だから、気持ちは複雑だ。
とりあえず生きる糧を得たほっとしたおもい。
障がいの重さを再認識するかなしい気持ち。
大変さに労りの言葉をもらえたようなうれしさ。
仕事につけなかったのが甘えではなく、現状で必死に生きているんですよ❗
といってもらえたような罪悪感の薄れ。
色々なきもちが混ざり合い。
私は一枚の紙切れを持って泣いて、震えた。
比喩ではなく本当にがくがく震えた。
それだけ重たい一枚の紙切れが通知書。
子供を授かり、未来を夢見ていたとき。
私はこんな日が来るとは思っていなかった。
今ごろは就職活動しているか、その前段階かわからないけど大学生で。
私はきっと働いていて、旦那と二人で年末に息子を帰省させて大丈夫か、やめさせる?なんて話ながら、段ボールに好きな食べ物を詰めたりしていた予定だった。
兄弟もいただろうし、そうなるとねこはかっていなかったかもしれない。
きっと見える風景は全く違い、生きる世界もまったく違った。
とりあえず。
今はこの世界にいる。
息子に障がい者年金が認められました。
という世界に。
旦那とケアマネさんには話した。
しかし息子には話していない。
きちんと理解できる気がしないから。
そして、もしかするとスイッチが入るかもしれない。
そんなかいわもなく。
昨日はたまたまネットスーパーの配達日だったから刺身をたべた。(笑)
そして、息子は訓練があり、私は来週から年明け五日まで休みたいと言い、
先生に地味に叱られた。
そんなに休んでられる状況ではないらしい。
だから来週も訓練がある。😂😂😂
何だかんだ、現実は厳しい。
あ、ケアマネさんに連絡したのは、ケアマネさんが後半の手続きをしてくれたからだ。
死にたかった日、本当に死のうとした瞬間の事を何度も何度も思い出し書き出していく作業は、既にメンタルが叩きのめされているわたしには、キツくて寝込んでしまい、ケアマネさんが手伝ってくれた。
山ほどの出来ないことの中から、小さな砂金粒を探すように出来たことや喜びを見つけて、自分を励まし、ようやく立っている私が、山程の出来ないことの中から最高レベルのやつをピックアップして小さな升目をうめていくのだ。
しかも、様式にのっとって。
それはそれはしんどい作業だ。
良いケアマネさんに支えられて生きてこの日が迎えられた。
大袈裟でなく、体験した人はそんな方が山ほどいるはずだ。
障害児の成人はこれからが始まりとも言える。
さあ、まあ今日から頑張ろう。
マイナスな気持ちは蹴り飛ばして、やったー!と言う気持ちを全面に押し出し、一日を始めよう❤️
頑張れ障害児の母達よ❗
そして、わ、た、し。