息子の生育歴を居場所の選び方
という観点で書いていこうと思います。
まずは出生から療育に繋がるまで。
息子が産まれた場所は、産院により心臓病の子供は三つの病院に振り分けられます。
医局ってものが関係しているのでしょうか?
まずそこで、県内1.県外2.県外3のうちの我が家は県外3に決まりました。
出産後までわからなかったので、その日のうちにドクターカーが派遣されて息子は運ばれていきました。
そこから、しばらく入退院と外来を繰り返すのですが、ガソリン代や高速道路料金、病院と⬅️私と息子、家⬅️旦那というちょっと異質な二重生活のためのお金がかかり、子供の将来のために極力手をつけないでいたい❗という親も多い福祉手当は全て生活費に消える数年間を過ごしました。
手当の申請を早くして良かった❗
なかったら我が家はいきていけませんでした。
この時期はほぼ半分病院にいた気がします。
濃密な時間。
私の精神は、医師と、看護師、スタッフさんから売店のおばちゃん、病院のなかにいる全ての人に支えられていました。
まさに、この時期の息子の居場所はそこでした。
よって、保健師さんがなんどか療育にさそいにきてはくれましたが、それどころではなく、摂食訓練とか、初期の訓練とかを入院と平行して病院で行っていました。
手術歴がこの数年で10回弱。
救急車利用も数えきれない時期でした。
歩けるとか、しゃべれるとか、正直
命に関わらないから後回しだよ‼️
という意識の低さ。
しかし、その割に、睡眠時間を削りblogなどなかった時代にホームページをつくり、レンタル掲示板やチャット、レンタル日記とか言う機能で情報と仲間もつくり、初めて携帯をもちました。
リアルな親の会に入ったのもこの時期で。
私はとにかく生かすための情報や知識を集めるのに自分の能力以上の事を努力と根性となにより若さでやりとげました。
のちのち、切り捨てていた療育部分で大いに悩むことになるのですが。
この時期はこれがベストな選択でした。
全てにてを出さなかった自分にとりあえずはなまる❗
そんな時期でした。
全てが出来ないというのはいつの時期も共通で忘れてはいけない大事なことだと思います。
母にも子にもキャパシティはあるのです。
明日は、可能ならば療育編を書こうと思います。