さて、昨日散々ぼやいたことについてはなそう。
一晩寝て少し冷静になった。
実は息子、からあげくんのスマホ
11ヶ月にして4代目だ。
まず、普通通話ができなくなる。
SIMカードが入っていません。
とかいうメッセージがでてWi-Fi下でしか使えなくなる。
これまではそこら辺で修理、交換になった。
どうしてもなっとくいかない。
アプリは親の管理下で決めた安全性の高いものが少ししか入っていない。
使用頻度も私と変わらない。
今年は自粛続きで過酷な場所に置くことは少ないし、以前の機種はこんなことなかった。
つまり、八割はユーザー案件ではないと私たち夫婦は思っている。
常に原因不明と言われ、新しいものに交換になり、手続きで安くないお金を払い、時間を費やす。
いつも私か旦那が症状が進んでから見つけていた。
だからこそ、息子には問題が出たら直ぐ報告して、とりあえずネットはタブレットでしてスマホは使わないで。
とタブレットやネット接続が出来るテレビも与えていた。
早い段階で見つけれたら理由がわかり、対処も違うかも。と思っていたのだ。
しかし、またトラブルがおき。
以前と同じ症状がでて数週間、四日前には電源すら入らなくなり、放置していたのだ。
私が気がつくまで❗
私たち夫婦は直ぐ報告、ネット使わない❗を破った息子に怒ったのだ。
息子はこうやって困った事を放置して無かったことにしようとするところがある。
そして、親が動いてくれて問題解決するまで待つのだ。
その間ひたすらだまりこむ。
謝らない、礼を言わない。
ものすごく他人事。
叱られたらパニックになりフリーズ。
自分から動かない、
長い沈黙のあと
謝罪より先に言い訳、
謝罪しながら、自傷して謝ることを嫌がる
ペナルティのかかる費用は自分で払うをすれば良いだろう?とばかりに礼も言わない。
ただひたすらマイペースにいつもと同じように過ごし寝て、笑い、遊ぶ
まぁ、みていて腹が立つことこの上ない❗
こいつ、またやるな。
としかおもえないのだ。
夫婦で話し合い、とりあえず話し合ってからのショップに駆け込むときめ、考えまとめて話し合いましょう。と朝ごはんのあと声掛けしてすぐ部屋に消えた息子を待つも、何時間も出てこない。
昼ごはんに普通に出てきて父をいないようにスルーして食べたら部屋に消えた。
お膳立てをしないと決めてたが、らちが明かず、私が呼びに行き、父と対峙させた。
喋り出すまで五分以上。
口を開けたり閉じたりしながらひたすら前後に揺れる20歳の息子。
これがもうたまらなく障害を感じさせて私の胸をえぐった。
必死に耐えて言葉が出るのを待ち、旦那がまず言い訳からはじめ、ぼそぼそ話す息子の話を目を閉じてひとしきり聞き、
はあ?
約束と違うじゃないか。
無理な約束だと思うならするな❗
そもそも、約束破ったらまずごめんなさいだろうが!
と叱りはじめた。
まあ、口は悪い。罵声と言えば罵声だ。
感情もかなり乗っている。
そして、そのあと。
部屋に消えた息子、ショップにいく旦那。
そもそも、ワクチンの副反応がきつくて仕事を休んだ旦那は心身ともに疲れきったようなため息をついて出掛けた。
私はその間にスープカレーとステーキをしこみ、米を炊いた。
帰宅したとんかつくんをねぎらうためだ。
仕上げしながら貸し出しの代替え機にクラウドからデータを落とし、LINEアプリをインストールして。
息子に渡すと。
あ、ふん。
とだけ言われた。
あなたの悪いところはそういうとこだよ。
パパは体調悪いなか直ぐに行ってきてくれたんだよ?
感謝の言葉や、行くときにお願いしますとかさ、無いの?
親だから先があるけど、他人なら見捨てられるよ‼️
ともっと感情的にガンガンいった。
食事も通夜みたいな私ととんかつくんを横目に一人思い出し笑いしてヘラヘラ。
なんかな~。
最後まで彼の心に響くような叱り方が出来なかった気がした。
無力感というのか、ぐったりして。
八時前に夫婦でいたわりあいながらハグ、
うまく叱れなかったな。
愛してるからさ、あの態度は他人には好かれないと思うとやるせなくて辛いんだ
などと意見交換して。
とりあえずこれはここまでにしよう。
ということになり、
熱が出てきた旦那にアイスノンをわたし、
また明日ね。
お疲れ様。
しんどいのにありがとう。
と互いの部屋にわかれて寝た。
猫様がまだ流れてしまう涙をなめて、いつもならかまって❗とのしかかるのに隣で私をじっとみていた。
なんか、息子のみ異分子みたいで哀しい。
隣の部屋で久々の友人に
悪い悪い。
四日前からケータイ逝ってて❗
とゲラゲラ笑いながら電話をしてた。
叱るのは難しい
感情のない言葉は響かないし、感情に任せた言葉は刃のように切れる。
20年。
まだ親も子も未熟だ。
さぁ、今日は新たな気持ちで笑顔で家族の朝ごはんを作らねば❗
長々と聞いていただきありがとうございました。
ありのままの我が家でした。