きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

愛される障害者

愛される障害者というとなんというか、色々批判があると思う。

 

けどね、

愛される老人だとか、

愛される子供だとか、

愛される人だとか、

やっぱりあるよね?

それなりの年代で庇護者と言うか、関わる人が好むタイプ。

 

それが良いとは言わないけど。

そこに当てはまると、明らかに与えられるものが変わる気がする。

 

誰かに手を貸してもらう、

助けて貰う、

という立場になると、相手が嫌な気持ちにならない、

むしろもっとしてあげたい🎵

と言う人はかなり優遇されるし幸せに過ごせるのだ。

 

24時間テレビに出てくる障害者や病気を持つ人は愛されタイプだ。

他害があったり、パニックで暴れる人や。

病気に打ちのめされている最中の人はいない。

知的に障害があってもニコニコしてる人。

足が悪くても知的には障害がなく理知的な人。

みてる人が受け入れやすい人やタイプがあるのは確かだと思うのです。

 

だからね。

私は息子がより社会に受け入れて貰えて、可愛がって貰える愛される障害者でいて欲しい。

 

だけど。

息子は愛される障害者ではない。

 

口が悪い。

秀でたものがない。

向上心も薄い。

時折パニックで自傷行為もするし、口汚く人を罵ったり、投げやりな言葉を連発する。

 

 

人間なんて、みんな完璧じゃないし。

私もたいした人間じゃないからさ。

嫌な人間でも別に良いよ。

けど、助けて貰いにくいんだよ、それでは。

 

リアルに色々あって気持ちが揺れまくっているから今日は本当にまとまらない文章で自分でも何かいてるやら

と、おもってるんだけど。

時に、こんな支離滅裂な感情的な文章しかでなくなる日があるんだよ。

と言うのが言いたいのかな?

これで良いや、と思ってかいています。

 

私は息子が愛される障害者として、

順風満帆な障害者ライフを送ってほしいんです。

これって高望みなんかな?

障害はもう減って欲しいとかいわないから、これくらい叶わないかな?