きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

戦争

戦争について考える季節が来た。

私はコロナ禍でオリンピックをするしない。

の前に。

お金がかかっても

6日と9日は全ての競技を原爆投下の時刻前後一時間は中止するとか、なんなら休みにする❗くらいの平和への意志を世界に見せる心意気があれば良かったのに。

と思ってしまった。

 

わたしの母は平和教育を私に十分にしていたように思う。

知らず知らず、戦争のアニメや小説をたくさん見た。

そして、この時期に胸が痛むくらいに戦争が怖いと刷り込まれてきた。

 

わたしの祖父は

片方は南方で終戦、帰国してすぐ熱病で亡くなった。

もう片方は丙種合格で国内東北で松ヤニから飛行機のガソリンを作るという作業をしながら、こんな有り様では絶対負けると思っていたと話してくれた。

 

わたしの両親が既に戦争を知らない世代だ。

 

祖父母もなくなった。

 

 

これからはますます忘れない努力、戦争の悲惨さや哀しみを刷り込んでいく必要があると思う。

 

 

今年の8/6はほとんど広島を感じないまま過ぎ去った。

オリンピックの熱狂があるのは平和ゆえだ。

戦時中、たくさんの有力選手が戦地に赴いて亡くなったのを知る若者はどのくらいいるのだろう。

あの夏。

オリンピックにでるような体力があり、若く屈強な男子選手はみんな戦地にたっていたはずだ。

多くの人が命を落としたはずだ。

広島と共にその人たちに黙祷を捧げる時間であっても良かったのではないかと思う。

 

このコロナ禍、この猛暑に日本でオリンピックをして良かったと後世に思う理由があるとすれば。

もう二度と戦争をしないと誓った国がその事をもう一度思い出させるきっかけになる行動をとることだったんじゃないかと私は昨日のテレビ番組表を見て感じた。

 

 

 

 

皆様どう思いますか?