きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

オリンピックへの想い

息子はオリンピックイヤーに生まれた。

 

オリンピックの後に生まれた彼は、

産まれてすぐ翌日に

三才か、四才までに三回の手術をして生きていける心臓に変える、

生存率は三割。

と言われた。

 

 

帝王切開で産んだ私は彼の最初の手術の時にまだ入院していた。

夜の誰もいなくなった外来ロビーでとんかつくんと夫婦二人で話し合い、泣いたあと、涙をぬぐい。

 

次のオリンピックには笑っていられるように、オリンピックの強化合宿のつもりで私たちも頑張っていこう❗

と無理矢理笑った。

 

 

だから、私たち夫婦にとってオリンピックはいつだって節目。

その時に家族がそろっているのは喜びだった。

 

 

わたしは、四年毎に四年間の頑張りを想いながら各国の入場行進を噛み締めるような気持ちでみつめ、開会式のセレモニーを

四年間頑張ったねー☺️

という個人的な祝いだと想いながらみて。

閉会式をみながら、次のオリンピックまでまた頑張ろう❗

と思っていた。

勝手にね。

 

からあげくんが二十歳になる記念の年の2020が東京オリンピックになった時どんなご褒美だ❗

と思うくらい嬉しかった。

二十歳を盛大に祝ってもらう気分だった。

 

 

 

それがなんてこった。

 

 

 

私は一年延びてしまったオリンピックをもうみたくない。

と思うくらいいま打ちのめされている。

 

 

 

残念でならない。

我が家のいきる指針にすらなっていたオリンピック。

なんでこうなった。

 

我が家のキラキラしたイベントだったオリンピックを返してくれ‼️

アスリートファーストとかいうけど。

これだけのイベントになると世界中に、人それぞれにこのイベントに向ける想いってのがある人はたくさんいると思う。

そしてみんな絶対哀しみの中にある。


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