きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

いじめ

息子をいじめたり、からかったり、無視した人は今、オリンピックの開催間際に発覚した事を見てどう感じているだろうか。

わたしは、たぶん忘れていて一緒に責めている人もなかにはいると思う。

きっとそのくらい軽いんだと。

 

 

 

私が一度だけバッチリみた現場。

息子の歩き方を真似して笑い転げていた年下の野球少年。

向き合うのが怖くてどこの誰か確定させなかったが彼らは今、大学生だろうか?

まだ高校生かもしれない。

今頃甲子園を目指しているのだろうか?

そう思うから私は高校野球が好きではない。

 

私はそのとき、気まずそうな顔をしたその子達に、満面の笑みで

おはようございます。

と声をかけてみた。

ある意味いやらしい威嚇をしたのだ。

怒鳴られるより気味悪かったに違いない。

しかし、私の気は晴れていない。

もう、10年以上前の話だ。

なのに未だに涙が出る。

 

やはり、個人特定しなくて良かった。

私はその子が大人になり子供を連れてあるいていたら、彼女を連れてあるいていたら、

虫の居所が悪ければ

あのときは本当に辛くて泣いたのよ。

まだ覚えてるけど貴方、忘れた?

まだいじめしてるの?

とか言いそうだ。

最低な私を押さえ付けるのに苦労する羽目になっていただろう。

 

もし、息子がパラリンピックに出る選手で、いじめた相手が開会式に関わっていたら。

私は許せない。

昔の事。

重箱の隅をつつくな。

その時代のカルチャーや、風潮をわすれたらいけない。

 

そんな風に思えるのは

いじめやからかいで涙を流していない立場だから言えるのだ。

障がいはあるだけで、正直、親は悩み苦しむ。

いじめられる子を見て泣き、

それでも親子で必死にたえぬいたのだ。

いじめをネタにし、わらい、未だキラキラした場所にいるいじめっこをまた許せ?

 

どれだけ社会は私たちに我慢させれば気が済むのだろうか?

 

大好きなオリンピック。

私はリオの閉会式に心躍り、今回の開会式を楽しみにしていたが絶対見ない。

 

私は息子にこの話題を話せない。

テレビをつけることも今はできない。

どうか知らないまま楽しみにしているオリンピックのバスケを見て欲しい。

障害がなかったらバスケがしたかったらしい。

コロナ禍まえは車椅子バスケに通うのがたのしみだった。

今はテレビで見るのだけが楽しみな息子のキラキラまで奪わないで欲しい。

 

これは親の立場の叫びだ。