きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

無駄に生きる幸せ1

無駄な時間。

 

 

生存に直結しない時間。

そんな時間を持つのは人間にとって最高に幸せな時間だと思う。

ここでの無駄は、

経済的な余裕ではなく、時間の余裕だ。

この二つは時に一致しない。

 

 

惰眠を貪るのも、

音楽に浸るのも、

映画の世界に逃避行するのも、

瞑想するのも、

知らない文化に触れるのも

プールサイドで本を眺めながら寝落ちすることも、

 

余裕がないと出来ない。

 

私は息子が生まれてから暫くそんな余裕は無かった。

駆けずり回り、身を削り、心をすり減らして

そうやって生きた時間は

無駄がない生きざまだった。

必要なことをして、必要最低限に食べ、眠る。

 

無駄のない生き方は人を疲弊させる。

 

無駄な時間が人にふっくらと肉付けをする。

ただ、無駄がない生き方で見えるものも確かにあった。

必死のなかでしかみえない世界や気持ちの揺らぎ、大事なものを見極める心。

 

だけど、そんなものを知らずに生きる

余裕や遊びのある無駄な時間で満たされた人生を生まれてから死ぬまで過ごせたら。

きっと幸せ。

無駄な時間を過ごす豊かさは顔にでて、物腰に現れ、どこか人を引き付ける。

 

 

自分が苦しんだから、回りも苦しめばいいなんて全く思わない。

 

今障害児を育てている家庭に無駄な時間がたくさんもてるような社会になって欲しい。

必死で助けを求めなくてもさっと手がさしのべられる社会になって欲しい。

 

だから。

障害児を育てていない家庭には更に無駄な時間がたくさんもてる余裕のある日々をおくって欲しい。

 

無駄な時間を過ごすことは無駄ではない。

余裕は心に余白を作る。

余白には優しさや微笑みが入り込むことが出来る。

余白に怒りや苛立ちを詰め込んでいるうちはまだまだ無駄な時間が足りないのだろう。

 

無駄な時間を過ごしながら。

正当化するような御託を並べてみた

😘💕💕💕


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息子は働けないから経済的には余裕がないが、

時間の余裕はあり、無駄な時間を過ごしながら人生を歩んでいく。

彼は無駄を消費し、優しさを蓄積していく。

そしてその優しさをみんなに配る人になって欲しいとそう思う。