きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

哀しい言葉は嬉しい言葉

言葉とは表裏一体。

同じ言葉が言祝ぎの言葉にもなり、呪いの言葉にも化ける。

だから、あのお父様は素晴らしかった。

悪くない。

 

おめでとう!ありがとう、元気な子を産んでくれて‼️ようやったのー。頑張った。

 

からあげくんがドクターカーで運ばれた後に出産し同室になった方の元に赤ちゃんのおじいちゃんにあたるであろう方がきて、喜びのあまり素晴らしく大きな声で祝いの言葉を一気に言った。

ママさんは私の状況をしっていたようで、その後密やかな声と急にしんとした静けさが病室に広がった。

そして翌日病室が変わられた。

 

私は声を殺して泣いた。

私には言葉の一つ一つが凶器で呪いで。

元気な子を産むことができなかった私はダメな母だと。

親を泣かすような出産てなんて親不孝なんだと。

辛かった。

 

出産した病院で最初に付けられた病名は実は軽くて、命には関わらない程度、手術は必要でももう少し成長してからだろうと思われていたのだ。

だから、最初は普通にママ部屋にいた。

しかし、思ったより深刻な病状に部屋のメンバー入れ換えが始まった。

個室は物理的に無理だった。

 

次に入ってきたのは、噂大好き婦人病のおばあちゃま's。

根掘り葉掘り聞く。

そして。

 

まぁ❗今回は残念やったけど、若いんだし。次また産めるよ❤️

大丈夫❗大丈夫‼️

 

最高の笑みと豪快な笑い声に私はまた泣いた。

まだ生きてるんだよ。

 

死んでない。

 

そんなわけで、私はまだ万全ではない時期に退院した。

一人で。

腕には赤ちゃんがいない。

入院したときは二人だった。

からあげくんがお腹にいた。

とんかつくんがちゃんと迎えに来てくれたけど。

 

からあげくんはいない。

遠い病院のICUで生死をかけて闘っている。

 

私は逃げ出したが、からあげくんは逃げ出すことも出来ない。

 

そんなことを思った。

 

普通に出産したら私は知らなかった。

そんな世界がたくさんあった。

だから、良かったとは言えないが、無駄にしないようにしなければならないと思う。

全てを。

 



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