きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

からあげくんと寄宿舎

からあげくんは中学の2年から五年間を寄宿舎で過ごした。

 

学校までが遠かったということはもちろんだが。

一年の時はスクールバスで通っていたからそれだけが理由ではない。

 

小学生の頃から自傷、母への他害が始まった。

知的だけではなく発達障がいが潜んでいるだろうと感じてはいたのだが、それどころでなく何となくやり過ごしてきた部分が年々顕著化してきたのだ。

中学になり、体格が良くなってきてわたしに自信がなくなり精神科を初めて受診した。

 

薬を飲むか、環境をかえるのを勧める。

といわれ、環境を選んだ。

 

実は私は息子に寄宿舎を体験させたい気持ちもあったのだ。

もちろん最後の一年くらいの、もっとさきのはなしとして。

その理由は、将来的に施設やグループホームに入ることになるなら若いうちに一度体験させておきたい❗ということだ。

歳を重ねてからの初体験は健常者だとしてもしんどい。

だから、一番安心して任せられる寄宿舎があるのは魅力だった。

病院に入院してそこからかようスタイルも有りはしたが私はそんな理由で寄宿舎を選んだ。

 

中学からというのは、怖かった。

わたしも、息子も。

だが、結果良かった。

少しずつだがおちついてきた。

パニックになったときの対処も、学校と寄宿舎が連携してくれて、わたしも学んだ。

発達障がいは個人差があり、パニックになる場面やこだわりや嫌なこともみんな違う。

そこからの抜け出しかたも。

あくまでも最適な対処法で治りはしない。

だから、たまにビックリするほど噴出する。

 

きっとからあげくんの発達障がいは軽い。

だからこそ後回しにしてきた。

病名もきいていない。

IQ39

それが一応のからあげくんを表す数値なんだが。

それが全てではない。

数字は数字。

 

とりあえず寄宿舎生活はからあげくんを劇的に変えた。

寄宿舎からでたからといって昔に戻ることもない。

 

障害児を寄宿舎や入院施設に入れることを

 

見捨てる

育児放棄

 

と言う人もたくさんいる。

だけど、ちがう。

離れるのは辛くて苦しいに決まってるじゃん。

けれどそこでしか得られないものもあるのだ。

 

親が無力

 

なのではなく。

 

親以外の力も必要

 

なのだ。

息子には兄弟がいないが、寄宿舎では息子は兄であり、弟であったし。

まるととんかつくんいがいの父と母がいた。

たくさんのかたに育てられたから今のからあげくんがいる。

 

わたしは今、実はこっそり息子がいなかった五年間を取り戻すかのように息子との日々を噛み締めている。

 

からあげくんは寄宿舎で自由に食べれなかったお菓子を噛み締めている。


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