きみと歩く時々走る

重複障がいのある息子とのこれまでと今

報われる時と報われない時どちらもある。

池江璃花子さんの発言で。

報われない努力もある❗

と言うかたが一定数いる。

そりゃそうだ!

あたりまえだ。

みんなが手を繋いでゴールするわけでないから勝者と敗者がうまれる。

敗者の努力は0でない。

敗者の努力が長い目でみて無駄にはならない。

 

池江璃花子さんは病気する前トップアスリートで、さらに努力してこその復活である。

彼女はずっと前から努力してたし、才能もあり、環境や、仲間や支援者もあって、なにより運が良かったはず、それで今がある。

彼女はきっとそれを全てわかっているはずだ。

彼女は優勝してもしなくても

あの言葉を口にした気がする。

彼女の言葉を素直に抱きしめてよろこんであげたい。


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闘病には努力だけではどうにもならない因子があると思う。

親の気持ち、経済力、周囲の援助や気配り、選んだ病院、たまたまそこにいる医者の個人資質と患者との相性。

帰るべき場所があること。

そしていかんともしがたいのが、運とタイミング。

スタートラインや待ち受ける障害物はそれらにより変わる。

 

からあげくんは生まれたときから頑張ってきた。

わたしもとんかつくんも頑張ったし、私たち家族を取り巻く人々にも恵まれた。

 

だからからあげくんはからあげくんの人生に勝ち続けている❗

日本を明るく勇気づけるまでは行かないが、

我が家を明るく勇気づけている。

 

からあげくんの努力も報われたものと報われなかったものがある。

しかしそれはそれ単独の結果であり人生の全てではない。

どこで切り取るかでも見方は変わる。

 

うまく伝えられないのだが、からあげくんが最後に目を閉じるときになかなか面白かったと思ったなら、からあげくんの努力は本当に報われたと言えるとおもう。

 

 

私の人生の半分あまりはからあげくんの人生と重なる。

私の人生とからあげくんの人生は別物だが、私は障害者の母としてマイノリティーの社会をかき分けてつっぱしってきた。

私途中で大きく転んだが諦めずに立ち上がって走った。

私なりに頑張ってきた。

だからまる‼️はなまるだ💮!