それはじわじわとやってきた。
笑えない
楽しくない
感情が抜け落ちて黙々と必要なことをこなす私がいたように思う。
月に何度も意味なく吐き。
それは日常だった。
異常と思わず淡々と吐く。
体重も減り
体調も悪かったのだと思う。
いつの頃だったのかすら正直覚えていない。
夫がある日知り合いに紹介されたメンタルクリニックに私を連れていきたいと言った。
パニック障がいと言われた。
あぁ、壊れてしまった。
なんだかぼんやりそんなことを思った。
どうなるんだろう私は。
こんな役立たずはいる必要があるのだろうか。
足を引っ張るだけで消えた方がいいのではないか?
絶望と同時に、どこか笑い出しそうな私もいた。
やっぱり限界まで頑張れていたんだ‼️
しんどくて、しんどくて。
苦しくて、苦しくて。
でも当たり前だって感じだったけど、こんなになるんだもん。
当たり前でも普通でもない頑張りを私をしたんだ。
もう、
お母さん、あれもしたら?これはしてる?
なんて言われないよね。
って思った。
私は言われるがままにキャパシティを越えた活動をしていた。
育児、家事、訓練、療育、通院時々入院。
サボることは許されない圧力があった。
サボる=障害児虐待、ネグレクト
そして
なにより一日生かしておくだけでも必死だった。
もちろん。
病名がついたからと言って、手が抜けない場所は無くならない。
だけど、私は薬を飲んで持ち直した。
これは良いことだけではないと分かっている。
だけど、私はやらねばならない。
いまはずいぶん緩い生活になったが、それでも普通の子育てとは違う。
二十歳になった息子の洗髪をする。
歯を磨く。
髭を剃る。
手を繋いで歩き、時に車イスを押す。
飛び出しを注意して、財布の中身で欲しいものが買えるか確認してやる。
病院に付き添い、入院は付き添い入院。
楽な方だ。
障がいの介助としては。
なのに不甲斐ないだろうか。
私は未だに本が読めない
映画館にいけない
大音量や光の演出のある舞台やライブにはいけない
テーマパークのそんなアトラクションにものれない
ドライヤーの風を顔面に受けられない
はじめての人、慣れない人になるべく会いたくない
出来ないことだらけだ。
けれどヘラヘラしながらご機嫌に生きている。
薬に支えられた
まる(仮)的私
を私は好きである。
これでまた頑張れる❤️
頑張らなくていいんだよ?
ってたまに言われるけど。
なら頑張らなくなった分は誰がしてくれるの?
普通の20歳の親を想像して言ってもらっても困るのだ。
私が頑張らないとうちの20歳の息子、からあげくんには
ハエがたかる❗
そして、そのうち
死ぬ‼️